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ニュースこぼれ話(1) [時事雑感]

☆ トランプ大統領がAmerica Firstというと、新モンロー主義だの独善的だのとマスコミはレッテルを貼る。大統領は自国の国益の為に仕事をすると宣誓したのだ。当然のことではあるまいか。

日本の首相にしても日本の国益第一に仕事をする。もし安倍首相が私は日本の国益の為よりもアメリカの国益優先で仕事をしていると言ったらどうなるか。言わずもがなである。

☆ 北朝鮮がミサイルや核実験を行うと、それは挑発provocationだという。それに対しアメリカ、韓国が斬首作戦と名付けた合同軍事演習は挑発ではなく単に演習exerciseという。

そもそも朝鮮半島を南北に分断したのは、日本でも中国でもなく、旧ソ連とアメリカだ。歴史に「もしも」はないというが、トランプ氏は大統領になる前は北朝鮮のリーダーに会ってもよいと言っていた。もし相手が先代の金正日総書記だったら喜んでトランプ氏を歓迎しただろう。

建前としては抗美(朝鮮・韓国語・中国語でアメリカを美国と呼ぶ)を叫んでも、本音はアメリカに北朝鮮を認めて貰いたかったのだ。交渉のカードとして原爆を開発させた。このことはこのblogで前に何度か触れた。

三代目金正恩になって原爆、ミサイルの技術が加速的に進んだ。商売人のトランプ氏がdealとして金正恩と交渉始めたら、美国は遂に我々に屈したと北側は高言するだろう。タカ派の側近が多いトランプ氏はそれ冷静に聞き流せるだろうか。

フロリダで米中会談中、トランプ氏は晩餐会のデザートを食べながら習近平主席に「たった今シリヤのアサド政権に巡行ミサイル59発を撃ち込んだと耳打ちした。習主席は暫時凍り付いたそうだ。中国が北朝鮮を抑えることができないなら、アメリカがやると言った。

巡航ミサイルトマホークは人工衛星GPSで自らの現在位置を自動的に修正しながら目標物を狙うように飛ぶ。以前は予め組み込まれたプログラムで飛んだが、現在は進化してミサイルは解像度の高いカメラの目を装備している。制御は発射した駆逐艦内部か、あるいはアメリカ本国の管制室からまるでテレビゲームのように制御するので命中率は高いそうだ。59発という量は古い型の在庫整理ではないか。戦争というのは畢竟敵の基地や兵員を破壊、殺傷することだ。巡航ミサイルは味方の人命を損なうことなく敵を狙い打ちできる。

トランプ氏はオーストラリア訪問中の原子力空母カールビンソンとその護衛艦隊を東シナ海に回航させた。北朝鮮牽制のためだ。カールビンソン号はかつてテロ組織アルカイダのオサマ・ビンラデンをアメリカの特殊部隊が殺害した後、その遺体の水葬に使ったという因縁のある空母だ。

さらに昨日、原爆以外では最強の破壊力を持つという新型爆弾MOABを実戦配備後初めてアフガニスタンで使った。ISの地下拠点を狙ったとされるが、これも北朝鮮を牽制したものだろうと新聞が報じている。危険な賭けである。

 蛇足ながらに東京、大阪をはじめ日本の都市を無差別に焼き払った焼夷弾は大量破壊兵器として、ベトナム戦争で使った枯れ葉剤爆弾と共に現在は禁止されているそうだ。

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超高齢化社会を生きる(3) [時事雑感]

「つかもと創傷クリニック 塚本先生 侍史」
月曜日に新須磨病院の形成外科の辻先生が書いてくれた封書を今朝持って行った。陰圧療法の塚本医師が書いてくれた紹介状への返書である。

この侍史と古典的な用語は医師仲間の慣用句になっている。語源は貴人に直接渡すのは畏れ多いので、あなた様のご祐筆(秘書)に差し出します。という意味だそうだ。

常に最先端の理論、技術を追究する医療の世界にこの時代がかった敬称が残っているのは面白い。

診察券に添えて受付に出す。陰圧療法は通院では出来ないとの回答であろう。順番がきて呼び込まれた処置室で塚本医師に言った。

「もうここへ来て3年が過ぎました。こうなったら昨年はお断りしたものの、この際4週間くらいなら入院して、皮膚移植なり、陰圧療法なりやってもらいます。今の状態ではどこへも行けず、私に残された時間も少なくなりました。早く治したいです」白旗を掲げた。

「うーん、取敢えずはこれまで通りフィブラストスプレー(科研の細胞製剤)をした後、新須磨病院で出された被覆材を小さく切って、傷に嵌め込むようにしてテープを貼ってみてください。軟膏を塗るのは一旦止めてみましょう」ボールは先生の方に投げ込んだ。

帰ってくるとテレビニュースが京唄子さんの訃報を報じていた。89歳同年である。

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超高齢化社会を生きる(2) [時事雑感]

今回は脳ドック受信体験記である。日本には認知症患者が600万、その予備軍と言える軽度認知障害(MCI)が500万人という。
NHKの「あさいち」という番組で取り上げられ、MCIに対する関心が高まった。

MCI(Mild Cognitive Impairment)の定義
1. 本人や家族(介護者)による「もの忘れ」の訴えがある。
2. 加齢の影響だけでは説明できない記憶障害が客観的に示される。
3. 日常生活能力は自立。
4. 全般的な認知機能(思考力、判断力など)は正常
5. 認知症はない
6. 認知機能に影響を与えるような身体的疾患を認めない。
(メイヨークリニック、ピーターセン博士の診断基準を改変した臨床上実用的な定義)
主婦と生活社刊 奥村歩著 「MCIを知れば認知症にならない」から孫引き。

奥村医師によるとMCIを日本語で軽度認知障害と訳したのは間違い。軽い認知症と誤解を生んでいる。MCIは手当てせず放置しておくと1年ぐらいでアルツアイマー型認知症に進む確率が10~15%くらいあるということだ。

★MCIが心配なもの忘れ  
 近時記憶、展望記憶の障害 
 自ら体験したことの忘れ       
 体験したこと全体をすっかり忘れる (例:昨日レストランンへ行ったこと自体)
 人から見ても違和感 (それは忘れないでしょうという重要なことを忘れていたり、約束を忘れる)  
ヒントをもらっても思い出せない。
繰り返しもの忘れが生じる
時間と共にもの忘れの程度が悪化していく。

☆MCIの心配のないもの忘れ(加齢によるもの忘れ)
近時記憶、展望記憶の保持

人の名前や常識的な知識など一般的なことの忘れ

体験したことの一部分の忘れ(例 昨日行ったレストランのメニューの一部忘れ)
人は気にならない程度の忘れ
ヒントをもらうと思い出せる
偶発的なもの忘れ
もの忘れの頻度は大きく変わらない


さて私自身は最近もの忘れがひどく、多分MCIではないかと思っていることを以前このBlogでも書いた。

私のいる老人ホーム内にあるクリニックの医師(かかりつけ医)に訴えると、垂水駅ちかくの商店街のど真中にある小早脳神経外科クリニックが最新のMRIを持ち脳ドックをやっているからと予約を取り紹介状を書いてくれた。前回書いた新須磨病院に行った午後である。

予約時刻が3時40分。地元垂水の商店街ではいつも同じホームの人たちと出会う機会が多いから敬遠し、新須磨病院前の鄙びた商店街で昼食を摂った。病院前はまるで社寺の門前町のように調剤薬局や、喫茶店、うどん屋、蕎麦屋などが並んでいる。先ずは病院で処方された傷の被覆材を薬局で買い、コーヒーショップのランチタイムで時間を潰した。

10分前に入れとの指示なので新装開店した垂水駅ガード下の商店街を見物して時間を調整した。
受付で問診票を渡され裏表びっしりの質問に答える。今何年何月何日、何曜日か、何時の予約ですか。これはもう見当識(時間観念)のテストらしい。生年月日、年齢、住所、身長、体重、既往歴、今日は何故来たのですかの設問にMCIでないかと思うと書いた。

予約は20分ごとに入れているから一人20分間で終わるらしい。看護師に呼ばれ、診察室に。小早医師は私の問診票を見、日付が違ってますよ、4月4日と書いてある。今日は3日ですよ。あ、しまった、見当識で減点だな。

看護師に従ってMRI室に入る。身に着けている金属製の物、湿布薬貼ってますか。貼ってたら取って
ください。義歯、補聴器は容器を持参した。眼鏡、ベルトのバックルが金属だから全て外す。

頭を撮像するのに変だなと思いながら、MRIは音が大きいですねと言うと、耳栓貸しましょうか?
いやいいです。以前別の病院で脊柱管狭窄症の検査の時、騒音を経験しましたが、今は耳も遠くなっていますから。

数分間というのが長く感じられた。終わって看護師さんが認知症の長谷川式認知症スケールのテストをする。途中それはそうと身長、体重いくらでしたっけ、と聞く。これも問診票に書いたのと違う数字を言わないか、さりげなくチェックしているのだ。胸の名札を見ると小早、夫婦でやっているらしい。

http://www.chiba.med.or.jp/personnel/nursing/download/text2012_10.pdf

最後また診察室に入る。認知症のテスト、日付を間違えた以外全く言うことはありません。
紹介状をを書いてくれたホームの医師に対する報告書の封書とMRIの画像の入ったBlue ray Diskをくれた。返却の必要はありません。

料金は後期高齢者医療保険1割負担で3060円。保険外自己負担540円。これが画像のディスクのようだ。これが私のPCでは再生できなかった。ホームの医師に預け、昨日小早クリニックの報告書の内容を聞きに行った。Blue ray ディスクの画像も見せてくれた。

小早クリニックのレポートには長谷川式テストは高得点で言うことなし、MCIも該当せずとの返事だった。「えーつ、じゃあ、このもの忘れのひどいのは何でしょうか?」と聞いた。
「加齢によるもの忘れでしょう」

ああ、それを言われたらおしまいだ。馬齢を重ねているのは厳然たる事実だ。超後期高齢者としては首をかしげながらも引き下がらざるを得なかった。


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超高齢化社会を生きる(1) [時事雑感]

生死の境を彷徨して、甦ってから丸3年以上が経過した。その時、担ぎこまれた神戸徳洲会病院の医師がホームの支配人と、駆け付けた義姉(と言っても10歳以上若い。亡妻の兄の連れ添いである。義兄は早くに物故した)への病状説明書のコピーがある。失礼ながら私に劣らぬ悪筆で判読を要する。
わが娘たちはアメリカ在住だから間に合わないかもしれぬ。危篤の知らせを受け、とりあえず地理的に最も近い滋賀県にいる義姉に電話したらしい。

病状説明に戻る。
細菌性肺炎・酸素の取り込み不良を起こしている。呼吸不全。
右肺に斜線を何本も引いてある略図がある。

人工呼吸器を付け鎮静剤で眠らせている.。血圧を抑える薬を使っている。
抗生物質を使って治療中。耐性菌のため万能の薬はない。致命薬になり得る。
急変し血圧が低下すると昇圧。

心臓が止まっても心臓マッサージなどの蘇生術は行わないこと了承された。

私はICUの中で昏睡していた。その間色々な不思議な夢を見ていた。アメリカの西海岸にいる娘、東京、福岡の妹たちが来たときは、半覚醒状態だった。

ともかく助かったからこうして生きている。西田敏行のCMにある肺炎球菌ワクチン接種をして3年目だったから助かったのだろうか。

その時の踵の褥瘡を未だに治療中であることをこのブログで何度も書いた。毎週金曜日、形成外科へ行くほか、自室では朝夕傷を洗い自分で手当てする。最初はホームの健康相談室のナースが来てくれていたが、毎日のことだし、私はまだ介護認定を受けていず、要支援でも要介護でもないから、半年くらいで断わられてしまった。介護を要する入居者が増えたのである。看護師、介護士不足は今や社会問題でもある。

垂水区で唯一の形成外科クリニックの塚本医師は次々に新しい薬を試す。昨年暮れに皮膚移植やってみますか。4週間の入院になります。いやもう入院は勘弁してくださいと断った。

最近、学会に出席のため臨時休診があり、先週金曜日に行くと、陰圧療法という真空ポンプで陰圧をかける療法があります。入院でなく通院でできる療法があるようです。機器が高価だからうちでは買えませんが、新須磨病院にあるようです。紹介状があれば予約は不要ですとの書いてくれた。

新須磨病院は3年前、塚本医がこの褥瘡は皮膚移植が必要と回された病院である。紹介状を持って、今週3日の月曜日に行った。形成外科の医長は3年前と同じ女医の辻先生である。
3年ぶりに行って病院が新しく建て替えられているのに驚く。受付から、診察、会計まで一貫してIT化されている。

形成外科の前の待合室も広く、ソファーも上質で座り心地がよい。朝9時半からだから10時半ごろでよかろうか思って行ったのだが、延々と待たされた。受付で貰った番号札には紹介患者248番とある。覚えやすい番号だ。診察室の前にLDEで表示される。
「現在○○時XX分予約の○○番診療中、次は○○番」次はに私の番号が現れたのは11時半近かった。やっぱり電話で予約を入れておくべきだったかと飛び込みを反省した。

結論を急ぐと陰圧吸引はお勧めできない。踵にパイプのついた吸盤を残置するから通院では無理。傷はもう小さいのだから今までの治療でいいでしょう。塚本先生に返事を書きますと書いてくれた。今週金曜日に持って行く。

さて実は同じ月曜日、もう一件、脳ドック予約が入れてあった。ホームのクリニックの医師にMCI(軽度認知障害)の自覚症状があり、物忘れがひどくなって困っている。どこで診てもらえばいいでしょうか?と問うと、垂水駅近くの商店街に、最新のMRI装置を備えたクリニックが出来た。紹介状を書いて午後3時50分に予約を入れてくれた。つまり月曜日は午前中が新須磨病院、午後は垂水の小早脳神経外科クリニックのはしごだった。

その体験記は次回に書くことにする。

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続 情治国家韓国の混迷。 [時事雑感]

韓国の憲法裁判所は全判事が大統領の弾劾を有効と認め朴槿恵大統領を失職させた。また特任検察官は元大統領を起訴し、証拠隠滅の惧れありと逮捕状を執行し拘置所に拘禁した。

いずれも巷間、特にソウル市内に荒れ狂う罷免、逮捕の国民情緒に沿う決定をした。もし多数派の国民感情を無視して反対の決定をすれば、今度はそのマグマは自分たちに向けて噴出する。それを避けたのだろう。

歴代の大統領がそうであったように、判決は無期懲役、特赦、放免のコースを辿るのであろう。今回の大統領支持派の人々はテレビニュースで見る限り彼女の父の時代を知る高齢者層が多かった。

思えば1970年の大阪万博の韓国パビリオンには当時の朴正熙大統領の大きな肖像額が掲げられていた。彼は日本の士官学校で学んだから、知日派かつ親日派であった。日本側はわざわざ彼の昔の教官を招いて彼を感激させ、日韓基本条約を結んだ。恩師を貴ぶ儒教精神を利用した感がある。

その時李承晩ライン内に取り込められ、既に紛争の種となっていた竹島(独島)を、彼はそんな人の住めない岩礁なんかいっそのこと爆破してしまえと言ったと伝えられる。

独島と女子挺身隊少女像(韓国側は女子挺身隊=従軍慰安婦=性奴隷と論理を飛躍させている。)独島防衛のための日本を仮想敵国とする軍事演習を繰り返している。

朴槿恵大統領の失職を受け5月に実施される新大統領は反日候補が優勢だという。韓国のマスコミ(韓国語で言論界という)も、政治家も反日を唱えれば誰も反対できない。安倍首相の慰安婦救済基金として10億円を支出したのは捨て金になる恐れがある。

次期大統領の座を狙って帰国した国連事務総長 幡基文氏はそんな金は日本に返せと息巻いていたが、昔ながらの派閥抗争の韓国政界に絶望して立候補を断念した。

戦後、韓国の学校では反日教育をしていたものの、日本統治時代を経験した世代は極めて親日的だった。その例を挙げる。

ソウルから電車で50分、終点の仁川(インチョン)駅から出ると、同じ列車にから降りた老婦人が近づいてきて道を尋ねる。
「私に道を聞かないでくださいよ。日本から来たのだから」と言うと、
「私の娘が大阪にいます。富川(プチョン)から花見に来たのです。ご一緒しませんか」と自然に並んで歩きだした。私が電車の中で「地球の歩き方」という旅のガイドブックを繰っているのを見て、日本人と知って話しかけたらしい。まるでナンパされているようでおかしかったが、当方も漫遊の途中だから断る理由はない。

高台の自由公園へ行った。ここは子供の頃は西公園という名で、学校の近くだったから、よく遊びに来た懐かしい公園である。サクラはまだ早かったが、韓国の春を彩る黄色いケナリ(連翹)とチンダルレ(葉っぱよりピンクの花が先に咲く高麗つつじ)が満開近い。二人でベンチに座ると、独りより二人の方が楽しいと持参のパンと牛乳を分けてくれた。

そこへ別の老婦人が一人やって来た。戦争中は対馬の小学校にいた。日本時代はよかったと言う。今日みたいな反日思想は微塵もなく、日本統治時代を懐かしんでいた。

対馬のオモニと別れた後バスで月尾島(ウォルミド)へ同行した。仁川市内から突堤で繋がっている島である。ここも子供の頃、父や弟とよく魚釣りに来た。バス代を出すと「客地に来て余計なことするな」と制して私に払わせない。月尾島は遊園地になっていた。

挙句の果て、うちへ夕飯を食べにおいでなさいと熱心に誘われ、松内(ソンネ)駅で途中下車する。林立する高層アパート群の中、14階にある2Kの部屋だった。いそいそと支度をして並べる。食後、お茶にしますか、それともコーヒーにしますか?と聞かれ、「今は電気釜だからもうスンニュンなんて飲まないのでしょうね」と私としては世間話のつもりで言った。昔は茶葉が高かったから、庶民はご飯を炊いた釜の底にできるお焦げに湯を入れて飲んだ。スンニュンという。

彼女は電気釜のご飯を鉢に移し、そこへ白湯を入れ、スンニュンの香ばしさはない釜の洗い汁を茶碗に入れ差し出した。

もう帰りますというと、また松内駅まで送ってくれた。「今度来るときはホテルに泊まらずうちへ泊りなさいな。もうお婆ちゃんだから一緒に寝ようなんて言わないからご心配なく」
とオホホと笑った。名前も電話番号も聞かなかったから(或いは聞いたが忘れたのかも知れぬ)二度と会うことはなかった。

私はこの話を宝塚の「北十字星文学の会」の月報に、「薄いスンニュン、厚い人情」と題して投稿した。


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稀勢の里フィーバー [時事雑感]

この春場所は21年ぶりの日本人横綱誕生ということで、マスコミも相撲ファンも大はしゃぎだった。最近はモンゴル勢、朝青竜、白鵬、日馬富士、鶴竜と横綱を独占の状態だったから騒がれた。大阪のタニマチは渋いと見えて、今まで横綱戦にかけていた懸賞本数も今場所は稀勢の里以外はぐんと少なくなった。

学生横綱からスピード入幕した遠藤にかかる懸賞本数の方が多い。モンゴル勢としては面白くない。それに最近の傾向として大関、横綱の優勝が1回で途切れ、豪栄道、琴奨菊、日馬富士、鶴竜の場合のように二場所連続優勝がない。

大関は二場所連続負け越すと、関脇に下がるだけだが、頂点に立つ横綱は負け越すと引退しかない。連続優勝記録を持つ白鵬は今場所平幕に連敗して休場の道を選んだ。

いずれにせよあまりにも稀勢の里ばかり騒ぎ立てられるからモンゴル勢としては面白くない。それで日馬富士が意趣返しに弾丸のように稀勢の里を襲い怪我をさせたのだとの無責任な噂がネット上に流された。日馬富士は起き上がれず苦悶する稀勢の里に驚き、「大丈夫かな。でもお互い勝負ごとだからな」と弁明していた。

稀勢の里と同じように勝ち進んできたモンゴル出身大関照ノ富士は、大関から関脇に転落した琴奨菊を立ち上がりさま変化してはたき込み、観衆から凄いブーイングがあった。
「コラ、まともに勝負せい、モンゴルへ帰れ」流石にNHKの実況ではそこまで伝えなかったが、解説者ははたき込みは大関、横綱のやるべき手ではない。堂々と突くか組んでの相撲をとるべきだと言う。新聞によるともの凄いヤジが飛んだらしい。

稀勢の里が負傷した翌日の相手は横綱鶴竜だった。痛々しくテーピングした新横綱に勝った鶴竜は「こんなやり難い相撲はなかった」と述懐した。

千秋楽2敗同士の稀勢の里対照ノ富士、前日のブーイングにおそれをなしたのか、本番でも、優勝決定戦でも精彩を欠いた。

日本の国技相撲に初めて朝鮮半島以外の外国から関取が登場したのはハワイ、マウイ島出身の高見山である。彼はアメフトの選手で相撲はやりたくなかったのだが説得されて入門した。
1964年のことだ。相撲界やマスコミでも日本の国技を護れと彼の入幕に反対する声もあった.。日本語もできず、ちゃんこ鍋が食べられず慣れるのに1年かかったという。

最高位は関脇どまりであったが、一度幕内優勝の経験がある。表彰式に当時のニクソン大統領から日米親善の架け橋として祝電がきた。愛称ジェシー、本当は歌がうまかったのだが、のど輪で突きまくられ、声帯を傷めあのガラガラ声になったという。親方になるため日本に帰化した。その日本人より日本人らしい真摯な人柄が愛された。彼のあと曙、武蔵丸とハワイ出身の横綱を育てた。(参照出典ウイキペディア)

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マイナンバー制度(3) [時事雑感]

マイナンバー制度(3)

「マイナンバー制度は行政の効率化、国民の利便性の向上、公平・公正な社会の実現のための社会基盤です。 マイナンバーは、社会保障、税、災害対策の分野で効率的に情報を管理し、複数の機関が保有する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されます。以下略・・・」(総務省のHPより)

マイナンバーカードの交付申請者が全対象者の8.5%しかないというニュースがあった。
私のように、どこかにしまい込んだ通知カードを血まなこで探し、i-PhoneでQRコードを読み取り自撮り写真を送って申請したことはこのシリーズの1回目に書いた。

申請から3週間ぐらい経って交付通知書が送られてきた。交付場所は区役所市民課とある。ちょうど所得税の確定申告書にマイナンバーカードのコピーを源泉徴収簿や社会保険料の証明と同じように貼付せよとあったので、受取に行った。受け取るに際しては運転免許証などの本人確認証や健康保険証を提示せよと、またお役所流のややこしい手続きが必要だったのだが、それはさておいて、写真付きのマイナンバーカードを貰って来た。

それが対象者の10%も交付申請をしていないとのニュースを見て、自分はあたらし物好きなオッチョコチョイ、軽薄者だったのかと思ったくらいだ。

老人ホーム出入りの銀行の外勤社員が非課税枠NISAに必要だからと個人番号届け書を書いてくれと持ってきた。書くとすぐ、目隠しシールを貼って持ち帰った。

前にも書いたが日本人はプライバシー意識が強く、個人番号を付けられるのを嫌がる。政府も及び腰でアメリカのようにマストでない。

もう何年も前のことだが韓国に旅した時、毎週金曜日は大統領官邸、通称青瓦台の無料見学ツアーの催しをやっていた。確か金泳三大統領の時代だった。彼はクリスチャンだから金曜日は特に重要会議がない限り青瓦台を一般に公開していた。無料シャトルバスが出る公園に行った。バス停では手荷物検査と身分証のチェックがある。

外国人はパスポートの提示を求められる。その時の外国人は、日本人は私一人、数人の中国人観光客だけであとは全員韓国人である。

見ていると韓国人はそれぞれ顔写真のある身分証を検められているる。なるほどと思った。もし北の工作員が混じっていてもわからない。正式に亡命を認めた脱北者なら身分証が支給される。だから彼の国では顔写真入り身分証は必携なのだ。

その点、日本人は個人番号の通知カードにあるとおり既に番号が付けられているのに、政府も表面上は強制でなく、カードの申請は任意としている。一方企業向けマイナンバー収集代行サービスというのがクロネコヤマトが乗り出している。

「貴方の個人番号が漏れています。確認するから教えてください」と年寄りを騙す特殊詐欺グループも暗躍するかも知れない。

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元気を貰った国際電話 [時事雑感]

私は在宅中は原則として携帯電話は携帯しない。充電器にセットしたままだ。自宅内は固定電話があるし、固定電話の子機を1台パソコンの机の上に置いているから、在宅中は携帯電話を必要としない。

何日か前のこと、携帯電話が鳴っている。画面を見ると「圏外」となっている。はて面妖な。電波が届かないから圏外なのに電話がかかってくるなんて。気味が悪いから出なかった。

鳴り止んだ後、ふと思いついて電話の不在着信をチェックすると韓国のChe君からの着信であった。携帯電話はかける方だけでなく、受ける方も課金される。iPhoneで国際電話すると料金が高いだろうなと躊躇していると、今度は固定電話の方が鳴った。

「韓国のCheです。病気されたと聞いて家族共々心配しています。」
Che君一家がここへ訪ねてきたのは4年前2013年の夏のことだ。それについては、このblogに書いたことがある。私が肺炎で入院し危篤状態から生還したのはその翌年2014年の丁度今頃だった。そのことを誰かから聞いたのだろう。

Che君との付き合いは長い。私は宝塚にいた頃、朝鮮・韓国の文学を研究翻訳する「北十字星文学の会」に身を置いた。Che君は尼崎の産業技術短大の社会人留学生だった。日本語勉強のためと入会してきた。文学会の会員は日本人、在日朝鮮・韓国人、それに韓国人留学生という構成だった。

韓国の大手鉄鋼会社、浦項製鉄では日本語の社内検定に合格した社員、数人を毎年尼崎の鉄鋼短期大学(現在は産業技術短期大学と改称)へ社費で送り込んでくる。日本に見習い追いつけの時代だった。今のような反日感情は全くなかった頃だ。

学校が夏休みになると、留学生たちはいそいそと家族のもとに帰る。ひとりChe君だけは帰らず、逆に家族を呼び寄せた。家族思いの彼はこの機会に日本を見せてやりたいと思ったのだ。

Che君は私がソウル生まれと知って、親近感を持ったようだ。彼は済州島の出身である。
韓国語では宝塚のヅやズの音がない。宝塚はタカラジュカ、塚口がチュカグチ。随分がジュイブンとなってしまう。その発音是正の特訓をしてやった。韓国語にはスの子音がある。無声音である。その口の構えで息を出し有声音化する訓練だった。

韓国語は語頭には濁音はこない。同じ音が語中になると濁る決まりがある。日本に来て母国を批判し、国を追われ日本に帰化した呉善花さんも済州島出身だが、オ・ソンファと韓国音で名乗っているのは、日本音読みのゴ・ゼンカの発音が苦手だからと書いている。発音がコ・ジェンガとなってしまう。

さて夏休みに来日したChe君の家族は短大の寄宿舎に泊まっていた。1人住まいの我が家に文学会の日本人会員も招いてパーテイをして交流した。在日の朝鮮・韓国人は二世、三世となると、もうネイティブとは言えず、日本語で考えるから、ネイティブの韓国語を話すChe一家は人気があり、大いに盛り上がった。奥さんは台所に立ち韓国料理の腕を振るってくれた。

後日、私は自分の車に4人を乗せ、私の縄張りである滋賀県長浜市へ、奥琵琶湖の余呉湖の国民宿舎へ一泊ドライブをした。子供は小学校の姉弟である。長浜城、醒ヶ井養鱒場等、夜は湖畔で花火を楽しませた。その時の思い出が子供心に強烈に焼き付いたようだ。
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10年以上経って4年前に再会した時、女の子は女子大学生、男の子は陸軍士官学校の学生だった。その成長ぶりに目を見張った。それだけこちらが年老いたのだ。女の子はカナダへ留学したいと言っていた。
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Che君は浦項製鉄から現代製鋼に転職、部長になっている。ここが日本人とはちょっと違う。日本人なら社費で留学させてくれた会社を捨てて他社に移ることはしまい。

今回の電話では、娘はカナダ留学はせず国家公務員試験に合格、息子は士官学校を卒業し少尉に任官した。ソウルの近郊に家を構えました。是非一度来てください。家内も子供たちも会いたがっています。

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折しも韓国は大統領の弾劾問題で騒然としていた。また韓国のマスコミは親日思想を叩くことがメデイアの正義とわきまえている。そんな雰囲気の中でわざわざ電話をくれたのは、儒教の伝統である敬老精神からであろうか。今は足を痛めているがよくなれば、是非もう一度行きたいな。私は久しぶりに韓国語で言って電話を切った。


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お断わり [時事雑感]

このblogの左側にリンクを示している掲示板は、先月からサーバーの不調で繋がらなくなっています。掲示板運営業者側の機器にトラブルがある様子です。メールで連絡を取ろうとしても、メールアドレスがエラーとなって届かない状態です。

当分の間休止といたします。ご了承ください。

追記:これをアップロードした直後、Sさんから繋がってるますよ、とのメールを頂いた。1週間ぶりである。安定するまで静観の構え。

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マイナンバー制度(2) [時事雑感]

マイナンバー制度の前に住民票コードというのがあった。住民サービスの向上と行政事務の効率化を謳い、平成11年(2005年)8月、改正住民基本台帳法が公布施行された。地方自治体が発行、それを全国的に繋げる住基ネットシステムを作ろうとした。

当時私は宝塚市に住んでいた。宝塚市長から住民票コードとして12桁の番号が送られてきた。この番号が実際に役に立ったのは、私の場合ただ一度だけだ。パスポートを取るとき、それまでは本籍地から戸籍抄本を取り寄せる必要があったのが、住民票コードを記入すれば戸籍抄本は不要であった。

全国の地方自治体を結ぶ住基ネットは、参加は任意としたから、参加自治体は僅か5%いう惨状で、あえなくお蔵入りとなった。潤ったのはシステムを運営する機関とソフトウェア開発を請け負ったコンピュータ企業であった。莫大な税金の無駄遣いに終わった。

国民背番号制の真の狙いは、金融機関のヤミ口座を捕捉して課税することにあったと思う。だが戦時中は政府権力による中央統制によってプライバシーのなかった日本。戦後平和憲法で個人の尊厳と自由を手に入れた日本人は、国民背番号制に激しいアレルギー反応を起こした。

マイナンバー制度の元祖といえば、80年前1936年、大恐慌の時、フランクリン・ルーズベルト大統領がニューディール政策として始めた社会保障制度であるという。

そこでアメリカに住む娘にメールで聞いた。

カードは名刺大のやや厚めのカードで XXX-XX-XXXXの8桁の番号
                  〇〇〇 〇〇〇〇 氏名
                  自筆の署名

日本と違い紛失しても再発行はない。だから裏面にカードはむやみに持ち歩かず、自宅の安全な場所に保管せよとの注意書きがある。また裏面にこのカードを拾得した人は社会保険事務所に送って下さいと住所が書いてあるのだそうだ。

拾った人が正直に届けることはあり得ないと娘は笑う。古き良き時代、アナログ時代の産物なのだ。不法移民も少なかった。

社会保障番号のない不法移民の手に渡ったら、なりすましに悪用されてしまう。現になりすまし犯に悪用されるケースが頻発しているという。不法移民は今や1000万人を超え、トランプ大統領が壁を作りたくもなるだろう。

では社会保障番号(Social Security Number 略称SSN)は何に使うのか。元来はその名の通り医療費の弱者救済であったが、現在では全国民の背番号となり、銀行口座開設、保険契約、不動産賃貸契約、クレジットカード契約など重要な契約に番号が要求される。

契約時には8桁をを示すことが必要だが、一旦契約した後の問い合わせ時は8桁を宙ですらすら諳んじるほどの記憶を保持するのは難しい。そこで下4桁だけを言えればよいという。時には下4桁と生年月日を聞かれることがあるそうだ。同姓同名で生年月日までが同じという人がいる確率はきわめて小さいだろう。

顔写真は付いてないから、顔写真付きIDとしての機能はない。顔写真付きIDとしては運転免許証である。アメリカの運転免許は5年間有効だが、更新はインターネットで簡単にできるから写真はいつまでも若い時のままだよと娘が笑う。

もう一つ、顔写真付きIDとしてのパスポートは最近の金正男氏暗殺事件でわかるように偽造が出来るし、偽造を商売とするブローカーも暗躍しているから信頼できない。パスポートにはICチップが組み込まれているのだが、それでも偽造される。悪知恵の進化の方が一歩先を行く。

序に言えばアメリカの軍隊では個人識別用として金属製の認識票にSSNが刻まれているということだ。戦場で戦死者の遺体が回収できないとき、認識票を持ち帰り戦死のあかしとする。特に海軍は水葬が一般的だから、認識票を持ち帰ることが必要だなのだ。

さて昨日3月4日、先月申請したマイナンバーカードの交付通知が送られてきた。区役所の市民課で一か月以内に受け取れと。前回書いた「通知カード」と本人確認書類、

A)顔写真付きの1点、運転免許証、運転経歴証明書、旅券など。
B)顔写真付きがない場合は官公署発行の各種資格証、免状、健康保険証などのうち2点。

それに暗証番号4桁のものを3組と電磁証明用6~16桁を予め作ってくることとある。アメリカのSSNがなりすまし犯罪が多いのを見て一応2重、3重のセキュリテイ対策を取っているようだ。

所得税確定申告の期限が3月15日だから明日にでも行くことにしよう。今度も巨額の税金をつぎ込んでJ-LIS(地方公共団体情報システム機構)がシステムを開発したのだから、ムダ金にさせたくない。

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マイナンバー制度(1) [時事雑感]

 過日、28年度の確定申告の用紙が送られてきた。見るとマイナンバーの記入が必須とある。慌てた。2年くらい前に「通知カード」が簡易書留で来ていたのを確かに見たことがある。指定サイズの顔写真を添えて「マイナンバーカード」を申請せよとあったが、証明写真を撮りに行くのが面倒で放っておいた。それをどこへしまったのか忘れてしまった。最近しまい忘れ(場所を忘れる)が多いのである。血相変えて血まなこで探し出した。あった!

確定申告書に記入する12桁の個人番号はそれで解ったのだが、申告書を出すときに本人確認用書類の提示または写しの添付が必要とある。

本人確認用書類としては
例1)マイナンバーカード
例2)通知カード+運転免許証、公的医療保険の被保険者証など、とある。
運転免許証はこの秋まで有効だから取り敢えず確定申告書は提出できるのだが、この際だからマイナンバーカードを作っておこうという気になった。

私のWEB 掲示板によく書きこんでくれる常連のSさんが、i-Phoneでマイカード申請したとの書き込みがあった。上記の通知カードの下にスマートホンで読み取るQRコードが印刷してある。それを読み取ると申請ができる。写真は予め撮っておくとサイズは先方で自動的に規定サイズにしてくれるのだそうだ。

早速実行にとりかかった。私もSさん同様i-Phoneである。
先ず、i-Phoneのカメラで白い壁を背景に自撮り写真を写す。何枚か撮って一番ましな1枚を残し、後は消去する。
次に上記のQRコードを読み込むと、私の個人番号、住所、氏名が現れた。以下指示される通りに情報を打ち込み、自撮り写真を送ると以下のような返信が来た。ゲームのような感覚であっけなく申請が済んだ。
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さて、以上は前置きである。書きたいのはこれからである。次回に譲る。

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建国記念日に思う(改訂版) [時事雑感]

 建国記念日は昔の紀元節で2月11日だった。今は日曜日に重ならないよう日付が動く。
建国記念日となると、賛成派、反対派それぞれの集会で気勢を揚げるのが年中行事になっている。
反対派の言い分は、第1代、神武天皇の即位の日は日本書紀に記述があるものの、歴史的根拠がない神話に過ぎぬという。
西暦紀元はイエス・キリストの誕生を根拠にしているが、これとて神話に基づく。人類の文明はそれより古いのだから、 BC(Before Christ)でどんどん遡れる。
キリスト誕生後はAD(Anno Domini)で、正確に言うと今年2017年はAD2017年なのだ。

私が小学校6年の時の紀元節は紀元2600年の大祝賀祭だった。この場合の紀元は皇紀2600年である。全国の校長が東京宮城前広場に集められ祝典があった。ものすごい人数だから当時の公務員の官位により招集があったのだろうか? そこのところは定かでない。多分祝典は何日間も続いたのであろう。

私たちの校長も朝鮮の仁川から行った。校長はその時下賜された恩賜の菓子を持ち帰り、製菓工場でそれを全校生徒・職員に配れる程の数の菓子に混ぜて練り直し、配ってくれた記憶がある。元の菓子の粉の一粒くらいは入っていたのであろうか。紀元は2600年という歌も歌った。今年は皇紀2677年に当たる。

世界にはいろいろな紀元がある。中華人民共和国は今では西暦を公歴と呼んでいる。
朝鮮には檀紀と言うのがあった。数年前まで韓国の新聞には檀紀4300年と括弧で囲み西暦と併記していた。始祖王倹が国を開いた年からとされる。今年は檀紀4306年に当たるそうだ。韓国人がよくわが民族5000年の歴史と胸を張る所以だ。

しかし、北側では金日成主席が生まれた1912年を主体元年とする独自の紀元を創ってしまった。
今年は主体95年に当たる。

イスラム暦もある。AD622年、預言者ムハンマドがメッカからメディナへ遷都した年をイスラム暦元年とする。.月の運行に基づく完全な太陰暦であるそうだ。

今の私は建国記念日と言えば即紀元節を思い出す化石人間である。

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続 情治国家韓国の混迷 [時事雑感]

歴代大統領の悲惨な末路

現大統領は議会で弾劾案が議決され職務停止中である。現在憲法裁判所が弾劾の有効性を審査中であり数か月間はかかるというが、今年5月24日には大統領の1期目5年の任期満了となる。憲法裁判所はそれまで判決を延ばすのだろう。任期満了後に逮捕という事は大いにあり得る。

韓国は独立以来歴代の大統領の最後は悲惨なものである。

初代~第3代 李承晩(イ・スンマン)1948
 朝鮮戦争休戦に反対、韓国軍代表の署名拒否。李承晩ラインを一方的に設定し、日本漁船を拿捕する。現在の竹島(独島)問題の種を造った。
その独裁ぶりに民衆の大規模反対デモにより退位、アメリカへ亡命。養子は一家無理心中を図り家族を射殺後自決。

私はソウルに行った時、李承晩の邸宅を訪ねたことがある。歴史的記念館、梨花園として保存されている。私が旅行案内を見て道行く人に尋ねたら、えっ、そんなところへ行きたいのですか?と不審顔でみられた。

第4代 尹潽善(ユン・ポソン)
1960年4月に李承晩政権が打倒されると、民主的な手続きにより憲法改正が行われ、尹潽善を大統領に「第二共和国」が出帆する。李承晩時代の教訓から国民の民主的権利を認めた。しかし後述の朴正熙(パク・チョンヒ)のクーデターによって倒される、軍法会議で懲役3年。

第5~9代 朴正熙(パク・チョンヒ)元日本士官学校卒。日韓基本条約締結し、日本から経済援助を引き出し、漢江の奇跡と呼ばれた韓国の戦災復興と近代化に寄与。
在日朝鮮人文世光が放った銃弾が逸れ、運悪く大統領夫人に当たり夫人を失う。そのワンマン振りに腹心秘書室長により射殺される。(現朴槿惠大統領の父君)

第10代 催圭夏(チェ・ギュハ)日本統治時代東京高等師範学校卒。1945年ソウル大学師範学部教授、学者の家系。前大統領の暗殺ご大統領代行、他に候補者なきため第10代大統領となったが軍人全斗煥のクーデターにより8か月で退任。

第11,12代 全斗煥(チョン・ドファン)大統領時代の金銭不正を詫び、資産を国に返還し寺に入るが、朴正熙時代の罪で逮捕され死刑宣告。特赦により釈放。

第13代 盧泰愚(ノ・テウ) 2年目に政治資金隠蔽事件で逮捕、懲役刑。後に特赦。

第14代 金泳三(キム・ヨンサム)ライバルの金大中氏同様、解放前に日本語教育を受けた最後の世代。早稲田大学の客員教授を勤めた。国内的には声望がある。

反日家で慶福宮前にあった旧朝鮮総督府庁舎を爆破、その残骸を天安市に造った「独立記念館」に展示。日本支配の36年をナチスのホロコースト(ユダヤ人抹殺)になぞらえる。私も行ったことがあるが、歴史の歪曲、捏造があり、現在反日教育の殿堂となっていて、小中学生たちが引率教師からいかに日本が惨いことをしたかを説いていた。

第15代 金大中(キム・デジュン)1973年8月、日本で反政府活動をしていた時、東京のグランドパレスホテルから韓国秘密警察(安企部)により拉致され、3日目に自宅軟禁、いわゆる金大中事件の被害者。日韓関係は未来志向でと日本文化の一部解禁を許可した。

韓国大統領として初めて北朝鮮を訪問、金正日と握手、ノーベル平和賞を受けたが、実は会談実現の見返りに5億円を北に献金したことが発覚した。

この時金正日がワザワザ空港まで出迎え、朝鮮古来の年長者に対する尊敬の礼をみせた。この実況放送を見た韓国国民は北朝鮮に好感を抱くようになったとされる。

私としてはノルウエイのノーベル平和賞委員会は金大中だけでなく、金正日にも授与しておいたら北朝鮮のその後の行動も変わったのではないかと思うのだが。

第16代 廬武鉉(ノ・ムヒョン)
日本語教育を受けなかった世代として初めての大統領である。
 前回記したように「親日反民族行為真相究明特別法」後に「日帝強占下反民族行為真相究明特別法」と改称し反民族者の範囲を次々拡大し、日本の陸軍少尉まで拡大して朴正熙まで該当するようにした。
退任後不正蓄財容疑で、側近、身内が逮捕され、自分にも逮捕の手が伸びると覚り、邸宅内の断崖から投身自殺。国民葬が行われた。
「恥ずかしいことですよ、国民葬なんて」と当時ソウルにいた私の知り合いの高さん(故人)から電話があったのを思い出す。

第17代 李明博(イ・ミョンパク)日本時代に大阪で生まれたが戦争が終わると一家で密航船を雇い父の出身地浦項(ポハン)に引き揚げ。苦学をして高麗大学へ。

朴正熙政権に対する反対学生運動の先鋒となる。当時まだ零細企業だった現代建設を16万名を擁する大企業に育て上げ会長職まで上りつめる。ソウル市長時代都市計画を進め高架の高速道路を外し清渓川を公園にして有名になった。

2007年大統領選で当選。
独自の経済政策を747計画(年7%成長、一人当たり国民所得4万ドル、10以内に世界7か国入り)を掲げた。
しかし日本では竹島に上陸するパフォーマンスをしたり、天皇は韓国に来るなら膝をついて謝罪せよと言って日本では評判はよくない。

第18代 朴槿恵(パク・クネ)業務執行停止。平昌(ピョンチャン)冬季オリンピックはどうなる?

韓国では大統領の権限が強すぎるのである。権限の集中するところ、必ず汚職あり。



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情治国家韓国の混迷 [時事雑感]


朝鮮半島に生まれ育った私は、そうでない一般の日本人よりは半島の動向について深い関心を寄せていると言えるかも知れない。

最近のニュースで対馬の観音寺から2012年10月に韓国人窃盗団に盗まれた観音菩薩像が韓国で発見され、観音寺側その返還を求めいた。韓国政府は日本に帰すべく保留していた。ところが忠清南道瑞山の浮石寺という寺が、仏像は元来朝鮮の物で14世紀、高麗時代に日本の倭寇により略奪された物であるから返してくれと訴えたのだ。韓国の太田裁判所は浮石寺側言い分を認め、像は非正常な手段で日本に略奪されたらしいから浮石寺に引き渡すよう判決をくだした。韓国政府は上告するかどうか検討中とのニュースである。

韓国が現代的な法治国家でなく、情治国家と言われる典型例である。法治国家には、ある行為がなされた時にそれがたとえ情緒的には不条理であっても、それを罪とする法がなければ罰することはできぬ。罪法定主義、法律不遡及の原則があってこそ法治国家である。

今から600年前に遡って高麗時代の倭寇の有罪を認めたのである。韓国は情治国家であることは、日本に留学し、韓国の学校の反日教育で受けた悪魔の国・日本と、自分の目で見た日本の印象の落差があまりにも大きいのに気づき、日本から見た母国を批判するエッセイを出版したことで売国奴として指弾され、母国を追われ日本に帰化した現拓殖大学教授呉善花氏によれば、韓国はその時時の国民情緒の流れに迎合する形で行政も司法も動く。大統領も例外でない。

その底流にあるのは反日と侮日であるという。反日は言うまでもなく日本統治36年間に基いている。侮日は中国を世界文化の中心とする中華思想に基いている。朝鮮は永年中国を宗主とし中華文化圏内にあったが、日本は文化圏の外の倭奴で文化的には野蛮人であり、朝鮮の下位にあったものを我々が文化を啓蒙してやったのだとする思想がいまだにあるという。

そういえば私が朝鮮にいた頃、朝鮮人は中国人のことを大国人(テグクサラム)と呼んでいた。

韓国人には恨(ハン)という自己中心的被害者意識がある。自分は悪くないのに思うようにいかないのは運が悪いせいだ。社会のせい、お上(政府)のせい、常に他者のせいにし自分を被害者とする。

朴槿恵(パク・クネ)大統領は就任時、加害者日本に対する恨みは千年たっても消えることはないと演説し日本人を驚かせた。

第16代の第16代 廬武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は「親日反民族行為真相究明特別法」後に「日帝強占下反民族行為真相究明特別法」と改称。を制定し、親日家の資産を没収するという100年前の日本統治時代の親日派の資産を没収した。事後法もいいところだ。
これで法治国家と言えるだろうか。

上記呉善花氏の解説では、廬武鉉氏は親日家だった朴正熙大統領を糾弾することで、その娘である政敵、朴槿恵氏を貶めることを狙ったものだそうだ。

李氏朝鮮時代は互いに貴族(両班)達が暗闘であった。その暗闘は今の政治家の間にも残る。地縁、血縁、門閥、学閥などによる暗闘は今日でもある。

混迷の中で韓国人がまとまるのは反日である。反日の言動に異を唱えるのは難しいのが現在の韓国なのだ。

参考文献:

最近私は紙の本は買わず、もっぱらKindle版であるから元の紙の本がKindle化されるまで待たなければならぬ。順不同である。

現拓殖大学教授呉善花 著
私はいかにして「日本信徒」となったか(PHP文庫)
スカートの風 日本永住をめざす韓国の女たち」角川文庫
続スカートの風 恨を楽しむ人々 角川文庫
新スカートの風 日韓=合わせ鏡の世界 角川文庫
韓国併合への道 完全版 文芸春秋社
反日・愛国の由来 韓国人から見た北朝鮮 PHP新書
「漢字廃止」で韓国に何が起きたか PHP新書
朴槿恵の真実 哀しき反日プリンセス 文春新書
「反日韓国」の苦悩 老いも若きも未来に希望がない
ワサビの日本人と唐辛子の韓国人 祥伝社黄金文庫
やっかいな隣人韓国の正体―なぜ「反日」なのに日本に憧れるのか
   (井沢元彦、呉善花対談) 祥伝社黄金文庫


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おことわり・追記しました。 [時事雑感]

このblogの左にリンク集にあるOldJoeの画像掲示板のサーバーが停止中でアクセスできない状態がになっています。

掲示板運営業者にコンタクトを試みていますが、相手のメールサーバーにも異常が発生し、こちらからのメールも届かない状態です。暫く時間がかかりそうなので、ご容赦ください。(ーー;)<(_ _)>

今朝(1/23/10;00頃、短時間ですが接続できましので、やれうれしやと投稿したら、うたかたの泡のようにまた消えました。復旧作業をしている感じです。

1月23日午後に復元したようです。但しトラブル発生直前の投稿は消失してしまいました。

その後再び鯖鰓(server error)になり、本日1月30日またアクセス可能になりましたが、今年に入ってからの投稿は全て消失、カウンターの数字も若返りしています。

しばらく様子を見て、安定したら写真をいくつか再掲するつもりです。

私も若返り出来たらいいのに。
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27万トンの命 [時事雑感]

 元旦に「375億回の命」と題して私の生誕以来の心臓の脈動数を計算してみたが、それを読んだ小田原市に住む後輩から、某新聞のコラムにこんなことが載っていますとi-Phoneでコピーを送ってくれた。いわば「375億回の命」の後編としてまとめてみる。

 我々がよく見かけるドラム缶の容量は200リットル,このドラム缶40本分(8000リットル)の液体を1日で休むことなく移し替えるのは大変な作業だろう。

人の心臓が一回の拍動で送り出す血液の量は平均80ミリリットル(ml)、1分間に70回とすれば5.6リットル、1時間333リットル、1日8064リットル、ドラム缶40本分にも相当する。

その新聞のコラムによると重量換算で1年では3000トン、89年も生き続けると26万7千トンと途方もない量となるのだそうだ。

 私の住む部屋から望む明石海峡を通るこれまでに見かけた最大のオイルタンカーは15万トンクラスだった。つまりマンモスタンカー2隻分の血液をせいぜいこぶし大の心臓が送り出してきたことになる。89年も生きてきたことに自分でも驚いているが、この超精密な自動ポンプがいつまで動き続けるのかは神のみぞ知るというところか。確実なことは止まる日は遠からず必ず来るということだ。

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 ここまで書いてきたら、産経ニュース(インターネット版)が飛び込んできた。
「天皇退位は平成30年末、新元号は平成31年元日から。皇室会議を経て閣議決定へ。
            法案提出は5月連休明け」という見出しで

「天皇陛下が在位30年を節目として譲位を希望されていることを受け、政府は平成31年(2019年I1月1日(元日)に皇太子さまの天皇即位に伴う儀式を行い、同日から新元号とする方向で検討に入った。国民生活への影響を最小限にするためには元日の譲位が望ましいと判断した。(以下略す)

ちなみに元号というのは今や日本だけでしか使われていない。新聞では同じ紙面で平成の29年やら西暦の下2桁の17年やらが混用されていてややこしい。

さて我々旧制仁川中学校(現済物浦高等学校チェムルボコドンハッキョ)同級生の生存者(現在入学時の5分1)の間では2020年の東京オリンピックを見るまで生きようぜを合言葉にしている。

産経ニュースが本当なら、オリンピックは無理としても2019年は新元号だ。それまでならあと2年だから私の心臓も動いていてくれるだろう。

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それでじゅうぶん [時事雑感]

安倍首相が音楽プロデューサーのつんくさんを首相公邸に招いて新春対談を行ったニュースを産経ニュース電子版で読んだ。

つんくさんは喉頭ガンで歌手として最も大切な声帯を切除したことで知られる。現在は食道発声法という特別な発声法の訓練のおかげで話すことができるようになったが、歌うことは無理なようだ。

首相はつんくさんの声帯切除の決断と食道発声法の訓練で声を取り戻し、母校近畿大学入学式で新入生を励ましたスピーチに感動したこと、自らも潰瘍性大腸炎で一度首相の座を降りたが、新しい薬が開発され、病気を抑え込みながら国の為に奮闘していること。話し合った。

つんくさんはステージに立つことはできなくなったのでクリエイティブな仕事に的を絞った。と語る。

長い記事なので参考までにそのURLを載せておく。

http://www.sankei.com/premium/news/170101/prm1701010015-n1.html

このニュースを見てふと思い出したのは3年前、産経新聞夕刊の夕焼けエッセイで読んだ12歳の少女の「わたしの願い」という一文である。それを読んだとき私はブログ素材ノートに書き留めておいた。以下にその全文を紹介する。

わたしはしゃべれない。歩けない。口がうまくうごかない。手も足も自分の思ったとおり動いてくれない。
一番つらいのはしゃべれないこと。言いたいことは自分の中にたくさんある。でもうまく伝えることができない。
先生やお母さんに文字盤を指でさしながらちょっとずつ文ができあがっていく感じ。自分の言いたいことがやっと言葉になっていく。

神様が一日だけ魔法をかけてしゃべれるようにしてくれたら、家族といっぱいおしゃべりしたい。
学校から帰る車をおりてお母さんに
「ただいま!」って言う。

「わたししゃべれるよ!」って言う。お母さんびっくりして腰をぬかすだろうな。
お父さんとお兄ちゃんに電話して
「琴音だよ。早く帰ってきてよ」と言う。2人ともとんで帰ってくるかな。

家族みんながそろったら、みんなでゲームをしながらおしゃべりしたい。
お母さんだけはゲームがへたやから負けるやろうな。
「まあまあ元気出して」ってわたしが言う。

魔法が解ける前に家族みんなに「おやすみ」って言う。それでじゅうぶん。

最後のそれでじゅうぶんに、私はついホロリときてノートに書き留めておいたのだ。
文字盤で指した文字を母親が文書に書き直したのだろうか。どんな難病に罹っているのかわからないが、つんくさんの習った食道発声法は応用できないものかとふと思ったのである。

食道発声法は空気を多量に飲み込み強く吐き出しながら音を出し舌や歯で調音する。つんくさんの語るところによれば東京は訓練する場所があり、週3回ボランティアが教えてくれる。彼は1年数か月訓練したそうだ。

この方法は琴音ちゃんの願う神様の魔法になれないのだろうか。


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2017年元旦 [時事雑感]

昨夜は遅かったので今朝起きたら8時を回っていた。自分で家伝の雑煮を作る。家伝は澄まし汁で前日から水に漬けておいた昆布だし、茹でたほうれん草(これはCOOPの宅配に冷凍品があった)、鶏肉ささみ、紅白かまぼこだけ。醤油味の澄まし汁である。餅三個を焼いていれる。三つ葉があればよいのだが買い忘れた。本式のおせち料理は夕食に館内レストランで予約してある。

PCを立ち上げるとメール1号は26日にこのblog「サプライズ]で紹介したPEIのバーバラさんだった。カレンダー着きましたとの礼状だ。プリンス・エドワード島との時差は日本より13時間遅いからまだ大晦日。ジャスト・イン・タイムに配達されたものだ。

「毎年日本の美しい光景のカレンダーを送ってくださる慣例に感謝しています。
ちょうど娘のフランセスが来ていて一緒に開封しました。
カレンダーを吊るしてある壁の一郭は我が家の特別な場所です。新しい年がお互いに健康で好い年になりますように」

このほか元中国語の家庭教師で結婚してドイツ、ベルリンに渡ったリュウチェンさんから年賀挨拶だった。南京大学から神戸大学院へ、それからイタリア人と結婚してドイツに住んでいるという多言語を駆使しる文字通りの国際人である。

夕方予約してあるおせちを食べに行った。知己と挨拶を交わす。テレビで餅を喉に詰まらせて窒息する幼児や高齢者にニュースを喚起しているが、ここの雑煮は関西風の白みそ仕立てで、餅は平たい饂飩状にカットしてクルクル巻いたものだった。さすが老人ホームならでの気配りである。

新しい年を無事に迎えることができた。車の事故で一家が死傷したり、年越しの祀りに集う群衆に銃を乱射したりの殺伐なニユースが続く。また波乱の続く2017年になりそうである。

昨夜の明石大橋
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375億回の命 [時事雑感]

こんな計算をした。
1日は60分×24h=1440分
1年は1440分×365日=5.256.000分
閏年は+1440分となる。

89歳生きると=5.256.000分×89年=495.979.200分
4年毎の閏年が22回×1.440分=31.680分を上に加えて496.010.880分
ざっと5億分、1分間平均心拍数を75とすれば、私の心臓は生まれてこのかた実に375億回、動き続けてきた。(計算はあってますか?)

思えば2014年2月、インフルエンザから肺炎でICUで人工呼吸器を付けられ、もし心臓が止まっても心臓マッサージなどの蘇生措置は執らないとの念書入れてあったのだが、昏睡状態の中で私は脈動する自分の心臓を手のひらに載せて彷徨っている幻覚を見ていた。
自力呼吸で蘇ったのはインフルエンザと肺炎の予防ワクチンを受けていたからだろうか。

今年もインフルエンザのワクチン(去年まではタダだったが今年から2000円、5年間の有効期限が過ぎた肺炎のワクチンは5000円から8000円になった。もう少し生きて元をとらなくちゃねと医務室の看護師さんに冗談言って笑った。

「90歳何がめでたい」とは私が愛読する佐藤愛子さんのエッセイ集の題名である。彼女は93歳、何度も「私の遺言」とか「これでおしまい」とかエッセイを出しているのだが、知り合いどんどん先立っていることを書き続けている。

先ほど紅白歌合戦(実はほとんど見ていないのだが)、終わりゆく年くる年も終わった。
心臓の脈動はあと何回続くのであろうか?

今年は喪中につき新年の挨拶は差し控えます。

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クリスマスEカード [時事雑感]

今年もクリスマスに慣例にしている英国Jacquie Lawson 社のアニメーションカードを送った。このカードの弱点は開けて見るための説明が英語のみである。カードの構成も年々凝ってきて開くための手順が複雑になってきた。今年は開く手順の説明文を楽に読める英語力があると思われる相手向けと、比較的少ない開封手順で開けられるものとの2種類を選んで送った。相手が開いたかどうかJacquie Lawson社から通知が来るように設定してある。毎年何人かの宛先人は開封せず無視されている。2年間開封がなかった宛先は名簿から抹消することにしている。

かつて駅前留学NOVAの講師をしていたオーストラリア・メルボルンのヘレンさんから返信があった。「何かメッセージ書いてくれた?私にはただhouseが見えて音楽が鳴っているだけよ」
えっと思ってJacquie Lawsonの私のアカウントのorder historyから彼女宛の控えを見ると開封済みになっている。再確認でカードを再生させると問題なく動作した。

「もしかしたら各シーンの画面の下に現れるインストラクションを見てないのでは?こちらで再確認しましたが問題なく見られましたよ」

私が仕事上、英語力を着ける必要性を感じ、初めてNOVAの扉を叩いたのは25年前だった。その時初めて会ったのがヘレンさんで、入学志願者のクラス分けのため英語レベルをチェックされた。当時のNOVAは最下位をレベル7で,それをさらにA,B,Cに分けた。
レベル7Cはアルファベットからやり直す初心者のレベルだ。ヘレンさんは私をレベル6と判定した。

実際にレッスンを受けて見るとかなり易しい。当時は二人の講師が推薦し、テストに合格すると昇級できるシステムだった。順調にレベル5、4、3と進んだ。推薦してくれた講師たちにはこのヘレンさんと、前稿「サプライズ」で紹介したカナダのヘレンさん、それに本稿の後半に紹介するアメリカのジェニーさん等がいる。メルボルンのヘレンさんに話を戻す。苗字をフリードマンという。冷戦時代に東欧から父親に連れられてオーストラリアに亡命したのだそうだ。

1997年会社を退いた私は念願の気ままな海外旅行を始め、最初の旅行先にオーストラリアを選びメルボルンとシドニーを訪れた。その時メルボルンではヘレンさんが案内してくれたのだ。

今年の便りによると、昨年メルボルンから車で1.5時間の郊外キャッスルマインに家を買い、難民たちに英語を教えて暮らしを立てているそうだ。現在はミャンマーのカレン族、アフガニスタンの難民に教えているそうだ。かつて難民として父親とオーストラリアに来た体験が彼女の仕事の背景にあるのだろうか。やはり日本のことが気になるらしく、日本のニュースをよく見ています。福島の原発事故の悲劇も知っています,とあった。

もう一人メールをくれたのは、同じくNOVAで講師をしていたジェニーさんである。
カルフォルニア、オークランドから来ていた。彼女は日本に来る前、大学で日本語をかじった。私は宝塚に住んでいて、たまたま通信教育で日本語教師養成講座を終えたときだったので、私の生徒第1号になってもらい,英語の家庭教師との交換条件で相互に教え合うことにした。月2回仁川のマンションに来てもらった。

その時ジェニーさんは自分はJew(ユダヤ系)だからクリスマスは祝わないこと。それどころかアメリカでは見えない壁で差別されていると打ち明けた。1年後カナダ出身の同僚講師パトリックと結婚してカナダへ渡った。アメリカ籍から離脱したのだ。

私はオーストラリアを旅した後、次はカナダへ行った。先ず一番遠いPEIへ行きバーバラさんのお宅に厄介になり、その後トロント、ナイヤガラ・フォール、ジェニーとパトリックが住む西岸のバンクーバーへと飛んだ。バンクーバー市内のスタンレイ公園近くにホテルを取って貰った。古いパスポートのスタンプでは1998年9月6日カナダ入国、9月23日帰国となっている。

9月21日午後ジェニーさんから自分たちのアパートメントに来てくださいと招待があった。訪ねて行くと何とその日が私の誕生日で手作りのケーキに手作りの日本語のカードを添えて出してくれたのだ。旅行中は自分の誕生日も忘れていた私は大いに感激した。

今回のJacquie Lawsonのカードにくれた返信に思わず泣かされた。昨年の返信ではスポーツクラブのインストラクターをしていた頑健だった夫のPatrickが事故で下半身不随になり車いす生活ですと私を驚かせた。今年は血液感染症で夫君は再入院中だとのこと。

「9月21日の貴方の誕生日に貴方のことを思い出しました。今年はどんなお祝いをされましたか?夫は入院中ですが、それはそれとして私たちは何とかやっています。二人でクリスマスを祝いました。私は今も英語を教えています。どうか良いお年を・・・、

私はカナダ旅行中にジェニーさんがくれた誕生カードのコピーを添え、今の私には宝物のようなカナダ訪問の記念品です。御主人の軽快を祈っていますと返信した。

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