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虚構の慰安婦問題決着 [時事雑感]

 永い間日韓関係の宿痾であった従軍慰安婦問題に安倍政権が年末ぎりぎりに決着をつけたことは、裏にアメリカの圧力があったとは言え評価してよい。欧米のメディアも好意的に論評している・

性奴隷として世界中で触れ回っていた朴槿恵大統領に不可逆的決着でもうこの問題を二度と蒸し返すことはないと約束させ、ソウルの日本大使館前の慰安婦という少女像の撤去もUNESCOの世界記録遺産の登録申請も考慮すると言わせた。しかし果たせるかな、韓国外務省はそんな約束は事実無根だの、マスコミや当の慰安婦と称される一団も受け入れ難いと騒いでいる。

像を建てたのは女子挺身隊問題対策協議会、略して挺対協である。私はこのblogで何度か女子挺身隊と慰安婦は別物であることを書いた。女子挺身隊は戦場に出た男子の人手不足を補うため徴用令で勤労奉仕をさせられた女学生であり、慰安婦は戦地の兵隊を慰安する売春婦として公募されたものである。
私の姉は女子挺身隊として当時の仁川(インチョン)府の府庁で事務を執った。一方「戦地で我が皇軍を慰安する愛国的女性を求む」という小さな囲み広告を新聞で一度ならず見た覚えがある。

挺身隊とは今から思えばネーミングが悪かった。朝鮮総督府側は身を挺して国の為に奉仕の意味だったのだろうが、戦後、挺対協は身を差し出すこと即ち慰安婦と誤ってか、或いは意図的に曲解したのか20万人の少女が性奴隷とされたと言い出したのである。朝日新聞でさえ女子挺身隊を慰安婦と誤信していて訂正したのはやっと昨年のことである。これは当時の朝日の特派員の義父か義母が挺対協の幹部だったからと言われる。

ともあれ戦後70年を経た今では。女学生だった無垢の挺身隊員も、本物の売春婦だった慰安婦も八十路後半である。日韓両国の為政者もマスコミも、戦争を知らない世代である。未来志向でもう過去の論争と決別して欲しいものだ。日本政府が拠出する基金の金は我々国民の税金なのだから。

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爆買い [時事雑感]

 私は毎年年末になるとアメリカの娘達に荷物を送る。去る19日に郵便局に集荷依頼の電話をした。今かなり集荷が輻輳しているのでちょっと遅れるかも知れないとの返事。

午後にやってきた集荷係は汗をかいている。「中国人の爆買いの集荷で大忙しです。電気ポットなど1度に10個ぐらい送るんです。まあ我々としてはいいお客様ですが・・」
「えーっ、垂水に中国人観光客そんなに来てますか?」垂水は神戸市では街外れみたいなところだから、そんなに観光客が来ているとは思えないから驚いた。

「留学生に買わせて送らせるのです。」それで腑に落ちた。私が中国語を習っていたLさんもその兄も神戸大学大学院の留学生だった。

日本政府が外国観光客誘致策を執っているから、今年は外国人特に中国からのお客が急増している。その購買力が半端じゃなく、店の陳列台が空っぽになるほど買い占めるから「爆買い」という新語ができた。

それで思い出したのは数年前アメリカはシアトル郊外のアウトレット・パークに行った。同行の兄嫁が土産に財布を幾つか買ってレジで並ぶと、我々の前に並んでいた中国人とおぼしき一行が、案山子のように横に伸ばした両腕にCorchの手提げバッグをびっしり通して並んでいた。やっと我々の番が来た。レジの娘が「あなた方もカナダから来たのですか?」と聞く。我々の買い物があまりにも慎ましかったから聞いたのだろう。「違うよ、日本からだ」
シアトルはカナダ国境に近い。駐車場には一行が乗って来た大型バスが2台停まっていた。国境の向こうのバンクーバー市は住民の1割が中国系である。今でいう爆買の原型が既にあった。

昨日のニュースでは今年の外国人旅行者は既に1900万人に達した。その大部分は中国からである。観光庁によると中国人の日本での平均の消費金額は28万円、うち買い物に61%17万円を使うという。

いずれにせよ今の日本経済にとっては爆買いはプラスになっている。百貨店も競って免税品コーナーの拡張に乗り出した。台湾、韓国からの客も多いが中国人ほど買物志向ではない。日本の医薬品、化粧品が中国人に人気があるらしい。

一昔前までは、アメリカがくしゃみをすると日本が風邪を惹くという時代があったが、アメリカの4倍もの人口を抱える中国がくしゃみをすれば、日本が風邪を惹く時代が来ているのかもしれぬ。

また中国人のマナーの悪さが顰蹙を買っているが、来日した中国人は日本に来て、街ではやたらにゴミを捨てない。路上で手鼻をかんだり、痰唾を吐かない。行列の割り込みをしない。店員が親切で応対がいい。我々も日本に見倣うべきだと感動して帰る人も多いという。

文化とはある人種、地域に根付いているもの、文明とは国際間で共通する規範的なものになった慣習と司馬遼太郎がどこかに書いていたが、手鼻や痰や割り込みの中国文化もやがて文明開化を迎える時が来ることに期待したい。




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OB会 [時事雑感]

 私がかつて勤務したY社の長浜工場OB会の通知が来たのは先月の半ば頃だった。1ヶ月先だから足の創はそれまでには治っているだろうと性懲りもなく希望的観測で出席と返信した。昨年は最初から諦めて欠席とした。12月14日当日、踵の創はやはり治っていない。

10月末アメリカの二女夫妻と福岡へ姉妹を見舞ったとき、1日1万歩近く歩いて医師からあまり歩かない方がいいと忠告されたが、この調子では創の癒えるのを待っていたら少なくなった残り時間を徒に無駄にするように思えて、踵に負荷がかからぬよう、杖を突いて出かけた。新快速で片道2時間余の旅である。

 改札口で世話人である後輩N.Y君が待っていた。彼の車で長浜豊公園の中の会場に行く。彼は大阪の本社勤務の時に知り合った。13人が集まった。Y社の長浜工場のOBなら何十人も居る筈だが、この銘貴会は本社勤務の経験があるか、本社採用で長浜工場や近辺の工場、研究所などで勤務したグループで構成されているようだ。私は工場採用で長浜工場に18年居た後、本社を始め各地へ転勤、出向したのだが、誘われて入会したのが近々4年前である。

N.Y君は前回まではカラオケも用意していたのですが、年一度の再会に懐旧談に花が咲き、誰も歌わなくなったので,もうカラオケの準備は止めましたと笑う。

この日出席予定だった会長役が急用で欠席。見回すと私が最長老だった。まだ現役の町長や地方議員などもいて会社定年後も活躍している。ボランティア活動を続けて地域に貢献ている者、良い老後を送っている。

隣に座ったY.R君は鹿児島大から昭和39年の入社だという。私が長浜から本社に転勤したのは38年ですれ違いである。始めのうち彼は長老の私にどう対応したらよいか緊張していたそうだが、話しているうちに緊張がほぐれ、最後には私と話しができた事が、今日の最大の収穫でしたと喜んでくれた。それは人間関係の連鎖による話題で、例えば38年入社には私の課に2人配属され、1人はサッカー選手だったこと。かれの鹿児島大の先輩であるY.G君は私と鎌倉の同じ工場に出向し、社宅も同じアパートだったこと。彼が開発部門で手掛けていたエンジンの話題等々、彼の持ち出す話題に私が何にでもきちんと対応できたことが彼を感心させたらしい。亀の甲より歳の功である。

学校の同門の縁を大事にするのは洋の東西を問はないが、会社での縁を大事にするのは日本人だけではなかろうか。お隣の韓国でさえ血縁関係と学校の同窓会は凄く大事にするが、会社では全て競争者であり蹴落とす対象なのだ。

日本人はしばしば”うちの会社”という言い方をする。その愛社心が高度成長を支えてきた。しかし今の日本では派遣社員制度は愛社心を失わせ、内部告発で会社の恥部を暴露させているのではないかと思う。日本人の愛社心とは、あるいは封建時代の主君への忠誠心の残滓が、我々の世代の中に沈殿しているのかもしれないが。

来年も生きていたら出席しますと言うと、体を大事にしてきっと来てくださいという。世話人のN.Y君は私のアッシー君となって、最初に銘貴会に紹介してくれ最近眼病で退会した私の同期のN.K氏を川道町の淡水魚加工会社に連れて行った後、私の親戚宅まで送り届けてくれた。感謝の1日であった。


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シングリシュ [時事雑感]

先日シンガポールのS.TanさんとEvon Chewさんが京阪神・沖縄へ遊びに来た折、我が家に見舞に立ち寄ってくれた。
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(シンガポールの語源はマレー語のシンガプーラ(獅子の街) Marlionが国のシンボルになった。)

シンガポールの娘たちとの出会いは2003年秋、韓国ソウルで私が定宿にしている明洞(ミョンドン)のサボイ・ホテルに彼女たちも泊まっていて、帰国時仁川空港へ向かうバスの中に日本語が達者なJoan Tanさんがたまたま私の隣席に座った。空港では大阪行きとシンガポール行きの搭乗ゲートが隣同士、出発時刻も10分しか違わない。そんな偶然が重なっての出会いであった。
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(仁川空港での出会い)

当時の娘達も12年経った今では熟女になった。その間私は2度しかシンガポールへ行っていないが、彼女たちのうち数名が毎年のように入れ替わり立ち替わり来日する。最初に私が探してやった大阪難波のビジネスホテルを定宿にしている。

彼女たちの話す英語は俗にいうSinglishで英国の植民地だったから英語が公用語だが、多民族国家だから出身民族により民族語の影響を受け訛ってしまう。総人口550万の内74%%を占める華人系、13.4%がマレー系、9.2%がインド系である。したがって公用語として中国語,マレー語、タミール語、そして共通語としての英語がある。

私の若い友人たちは全員が華人系だが、名前から見ると福建省からの移民らしい。陳と書いてtanと読む。今度来てくれたのは陳淑雲(Tan Siokhoon)さん。何故か陳姓が圧倒的に多い。ソウルのバスの中で偶然私の隣に座ったJoanはニックネームで本名は陳燕君。

シンガポールが1824年英国東印度会社のトーマス・ラッフルにより英植民地に編入された頃は、仕事を求めて中国南部から華人が流入してきた。Joanさんの姉Jean Tanさんの話では曾祖父母が福建省から来たという。本名の他に英国風のニックネーム(通称)を持つ者が多いが、陳淑雲さんはその類の通称は持たない。彼女はシンガポール政府の役人であるからだろう。

序ながら今回陳淑雲さんと来たChewさんは周さんである。物静かな寡黙な女性で汚れ放題の我が家のキッチン周りをピカピカに磨き上げてくれた、
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陳淑雲さん(中央)と周さん。

シンガポールの学校では出身民族語と、いくつかの課目を最初から英語で教える。英語で考える力が付く。大学では全ての講義が英語になり、駅の案内放送も英語である。従って英語を聞き取る力、英語で考える力は全員に備わっていると思える。日本が小学校から本気で英語教育をやるのならこの方式が参考になる。

英語は英連邦の一員としてcenterをcentreと綴るイギリス式を標準とするが、近年はアメリカ文化の影響で映画やテレビで米語が幅を利かす。華人系の学校が教える中国語は中華人民共和国が成立後は北京普通話となった。しかし、高齢者の低学歴者層は依然母語である福建語を話す。

若い層も家庭内や仲間内では福建訛りで、独特のSinglishとなる。Singlishの特徴の一つは語尾の子音が消失し発音されないこと。私は福建語は知らないが、中国語は日本語と同じく語尾はn以外は母音で終る。その影響かと思う。

日本語に堪能なJoan Tanさんの誘いで初めてシンガポールを訪れた時、彼女達のSinglishに面食らった。鳥類を集めたBird Parkという公園がある。“Bar Par”バーパーと発音する。irもarも同じになる。駐車場は”Car par”カーパーと聞こえる。

その他Singlishの特徴と言われるのはthがtとなり数字の3 threeも木treeも同じになる。
付加疑問詞は使わず文末に“right?”をしり上がりに付ける。
主語、be動詞の省略、時制は現在形のみ等と言われるがいずれにせよ話し言葉の上である。

Web サイトで見つけた会話の例
店員:Need or no need? (要るんですか、要らないんですか?)
客:Discount, can? (値引きできる?)
店員: Can! (できますよ!)
客:CAN? (出来る?)
店員: CAN! CAN!(出来ますとも!!)

彼女達はよく海外旅行に出かけるが、その時は普段着のSinglishを余所行きの標準英語に着替えて出かけるという感覚だろうか。

シンガポール政府はSinglishの使用を禁止している。議会でSinglishを使った議員を懲罰解雇したという。かつて朝日新聞が明るい北朝鮮と呼んだほどの一党独裁の国だが、国民の私生活の中から自然発生的に生まれた方言まで規制出来るのだろうか。それはまるで我々に関西弁を使うな。東京弁を使えというのと同じだ。

シンガポールは皮肉を込めてFine Country と呼ばれる。この場合Fineは美しいと罰金・過料のFineを掛けている。
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