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老人の昔話 [時事雑感]

この冬一番の寒波襲来ということで、テレビの画面の端には降雪注意のテロップが流れる。交通機関の遅れや欠航、死亡事故がニュースになる。

私が70年前(1945年12月)に朝鮮から滋賀県に引揚げてきて初めて体験したのが雪だった。一夜にして30~50cm積もる。インチョンでは寒さは厳しいが雪は滅多に降らなかった。引揚げてきて直ぐ市役所に転入届の手続きに入った日、15cm位の雪道を物心ついて初めて歩いた。

小学校の地理の時間で豪雪地帯の秋田県の事を習った。「この下に秋田市あり」の標識があり、人々は雪の積もった道路から直接家の二階に出入りするのだそうだ。大変な処に住んでいるのだなとの印象だった。

秋田に比べると長浜の雪は少ないのだが、今のような行政による除雪作業もない。雪の中約4kmの田舎道を歩いて通勤する。ゴムの長靴を履いて先の人が踏んだ足跡を頼りに一歩一歩歩く。雪のない日の1.5倍くらいの時間をかけ職場にたどり着く。

日没の早い冬、帰りの田舎道は命の危険があった。道と田圃の区別がつかなくなる。誤って田圃に落ち込んだら動けなくなり、助けを求めないと凍死する。私と同じ村の知人は勤め帰りに居酒屋で一杯やって、翌日凍死体で発見された。「アホやな」村人たちは蔭で囁く。

屋根の雪の重みで引き戸が動かなくなる。当時の田舎家は麦藁葺きの屋根が多かった。竃(へっつい)に柴をくべて煮炊きをしたり、藁で風呂を沸かすと煙が藁葺の屋根から抜ける。それで屋根に積もった雪がどさり、どさりと滑り落ちる。昔の人の知恵であった。瓦葺きにした今風の家では屋根に上って雪下しの作業をしなければならぬ。雪と共に滑り落ちて命を落とす人が毎年何人か出た。

ある冬の日、雪が積もっていた。大阪梅田の本社に初めて出張を命じられた。ゴム長を履いて蒸気機関車の引っ張る大阪行きの列車で逢坂山トンネルを抜けると何と青空であった。

ラジオも無かったし、今のようなリアルタイムで天気を調べる手段がなく長浜と大阪との距離感も地形感もなかったから、大阪にゴム長で降り本社に入った時は、田舎者の見本みたいな姿で大恥をかいた。お蔭で次から積雪の日は米原駅のロッカーにゴム長を入れ短靴に履き替えることを経験的に学習した。

近年は地球温暖化のせいか、そんな話は聞かなかったが、今年の降雪騒ぎで昔のことを思い出した。現在は情報過多でちょっと騒ぎ過ぎではなかろうか。












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俺たちに明日はない [時事雑感]

「新春雑感」で触れたが「仁六たより第4号」の原稿が送られてくる。締切は今月中である。6回生全員が昨年米寿を迎えた。100名中の生存が確認できている者は韓国人1名、日本人23名、生存率24%である。

たまたま1999年(平成21)8月に私が作成した仁六会名簿が見つかった。16年前の生存者は日本人58名、韓国人6名で生存率64%であった。

しかし改めて記憶の糸を辿ると、入学時にきっちり100人だったのか、戦時中のことだから軍人を目指し陸軍幼年学校(士官学校の下部校)、少年航空兵などを志願して3年生くらいで中途退学した愛国少年もいたから正確な数はわからない。

兵力確保のため、中学校を5年制から4年制に学制変更された最後の5年生で4年終了以上でないと受験できなかった陸軍予科士官学校、海軍兵学校、海軍幹部候補生の道を進んだ者は会員名簿に載っている。私も5年生をスキップして4年生で旧制専門学校へ進んだことは既に触れた。

1926~27年生まれだから、この1999年の名簿作成時は既に全員古希を過ぎたところである。この時期でさえ加齢による体調不良訴える者が多かったのだから、米寿を過ぎた今では24名中故障のないものは殆どいないのである。

あの過酷な戦中、戦後を食べる者もろくに食べず、戦後の復興に我武者羅に働き、我ながらよくぞここまで生き抜いたものよと、自分でも驚き。感慨深く振り返って、唯々感謝あるのみですと書いている投稿が幾つかある。趣味の俳句を投稿してくる会員もある。

テレビで訃報が伝えられる有名人は同世代人か、年下の人もいる。山梨のT氏と時々電話で話す。もう俺たち平均寿命を過ぎたから、あいつ死んだぜと言っても、ああそう、と驚かれることはないなと笑う。中には東京オリンピックまで生きる事を目標にしようと書いてくる。

私にしたら、米寿を過ぎてなお会誌を作っていること自体特ダネものだよと思いながら今日もパソコンに向かっている。

人口推移.gif

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続新春雑感 [時事雑感]

1月8日金曜日に今年の初の形成外科受診に行った。
「先生、今年も宜しくお願いします」と言いながら「本音はもういい加減に足を洗いたいところですが・・」戯言を言いながら処置台にうつ伏せになり踵を洗浄して貰う」

「年末年始バタバタして、必ずしも1日2回は手当できてません。1回しか出来ない日もありました」
「出歩いてたのですか?」創に負荷をかけるのは良くないからあまり歩かないようにと前に釘を刺されている。
「いいえ、歩いてませんよ。来客が多かったんです」
前回も書いたが年末にはシンガポールからAnnieさんとHui Hwenさん。いつも来てくれるT子さんとシングリッシ訛りの会食。

年が明けてから元の勤務先の労働組合の委員長で3人。うち1人は20年近くインドネシアの工場長を務めあげ、このほど定年になった挨拶を兼ねている。

 我が家は普段は「男鰥に蛆が湧く」の俚諺通り最近は散らかし放題のゴミ屋敷といってよい。片付不全症候群にかかっている。だから客を迎える時は大変なのである。偶然にもテレビで「人生がときめく片付けの魔法使い、“こんまりさん”こと近藤麻理恵さんのインタビューをやっているのを横目に眺めながら大わらわである。最後には時間がなくなり、えいとばかりにテーブルの上の物を段ポール箱に投げ入れクローゼットに隠して終りとする。

 Annieさん達に ”Oh ! very clean !” と言わせることになった。彼女たちは京都や浅草で私の為に健康長寿のお守りを買ったから日本を発つ前に私宛に送る。住所を控えてこなかったから住所を教えて下さいと今朝東京からメールが来た。お守りはともかく、その気持ちが嬉しい。

 インドネシア帰りのY君の話は、私が一昨年2月に旅して入院の引き金になった国だから、大いに興味が有った。ジャカルタの工場はイスラム教徒が多く男女別の礼拝室もある。ラマダン月は皆腹を空かせて能率が落ちるそうだ。

インドネシアは観光地でヒンズー教徒の多いバリ島を除くと、世界最大のイスラム教徒の国であるが、東南アジア諸国連合Aseanの盟主でもある。私が3年前に駆け足で見た印象では失業率が高く、所得格差の大きな国に思えた。あまり格差が広がると不満分子が増えそこにISが付け込む隙を与えるかも知れない。

同行の元労組委員長、Y君とT君は、私が現役時代の労使交渉の相手であったが、退職して18年になると言うのに、未だに私のことを気遣って見舞に来てくれるのはサラリーマン冥利に尽きるというものだ。

随分と脈絡のない文章になったが、世の中殺伐で血腥い事件が多い中、お蔭で未だ要支援、要介護でなく、介護保険のお世話にならずに迎えられた有難い新年の雑感である。

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新春雑感 [時事雑感]

もう今年も3日目過ぎた。昨日夕方ジムに降り40分位、初トレーニングをし、出たらレストランで夕食を済ませ戻ってきたOさん夫妻に出会った。

「おめでとうございます、お互い生きていておめでとう」と冗談交じりで言った。Oさんは朝鮮半島での唯一の大学だった京城帝国大学で学んだ。京城生まれの私と話が合う。奥さんは数歳年上である。90歳を越えている。至極元気だったのに昨年入院された。体の不自由なOさんは毎日タクシーで奥さんを見舞った。

「奥さん東京オリンピックまで生きましょうね。」
「ひえーつ、それは無理だわ。」
「大丈夫ですよ。私は無理かもしれないが、女性は強いから、目標は大きくもたなきゃ」そう言って笑い別れた。

シンガポールのTan AnnieさんからHappy New Yearとメールが入った。旧臘27日にHui Hwenさんと我が家に3年ぶりに来てくれた。京都を回り、まだ東京にいます。1月12日に旅を終え帰国します。シンガポールでお会いしましょう。17日間の滞日だ。外国人は休暇をフルに使う。シンガポールは赤道直下で年中Tシャツ一枚で済むのだから、女性としては冬服、コートを纏って歩く楽しみもあるのだろう。

日本人も労基法で有給休暇はあるものの、周囲に気兼ねして権利を行使せず、結局ゴールデンウィークや盆、年末年始と皆が休める時に集中する。空港や交通機関の混雑がマスコミの定番ニュースとなっているし、旅のコストも嵩む。

政府は働き過ぎの日本人を何とか休ませようと、今や国民祝日は世界一多い。かつて山本七平がその著書「勤勉の哲学」で書いた日本人の勤勉を美徳する思想が戦後日本経済を支えて来た。その思考が未だに染みついて長い休暇を取ることを憚るのだろうか。
厚労省の統計では年次有給休暇の取得率はH25年度で男性45.8%、女性56.0%でこの傾向は過去数年殆ど変っていない。つまり多くの勤労者が休暇を取得していない。会社規模が小さくなるほど取得率は下がる。また最近は非正規労働者が増えて、有給休暇が与えられない労働者も増えている。

しかし勤勉を美徳とする日本人にしては、近頃は会社の違法行為の隠蔽、捏造が目立つ。テレビで社長や役員が(どういう訳か大抵3人が多い)が薄くなった頭を下げ詫び、再発防止を誓う光景があまりにも日常茶飯事となってしまった。情けない日本である。

さて私のいる老人ホームでもお正月も休めず、我々を支えてくれるスタッフがいるからこそ私もこうやって駄文が綴れる。入居者の中には私より歩行の不自由な方々もいる。街へ出れば私より歩行が困難な人が懸命に生きている。私の新年の当座の目標は、毒舌は吐いても弱音を吐かぬこと。

年末に福岡の同級生M氏から昨秋出せなかった仁六たよりの第4号を春に出そうと集めた原稿を送ってきた。私は4号で仕舞いとは語呂が良くないから、どうせやるならGo Goで5号まで出そうと応じた。また忙しくなる。

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