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あさが来たを見て [時事雑感]

やや旧聞に属するが、NHKの朝の連続テレビ小説「あさが来た」が4月の第1週で終わった。私はこういった連続ドラマは最初暫くお試しで見て、気に入れば続けるが、気に入らなければ止めてしまう。大河ドラマもそうである。自分の好みでないものに残り少なくなった持ち時間を費やすのは勿体ないと思うからである。ちなみに今年の大河ドラマは見るのを止めた。

「あさが来た」はおおかた全部見た。途中から所用で見られない時に備えてテレビ本体に内蔵されているハードディスクに録画してまで見た。流石に平均視聴率が今世紀最高記録と言うだけあって面白かった。

テレビの視聴率の高さに便乗したのかモデルとなった広岡浅子に関する本が陸続と出版されている。
最近の私は断捨離の一環として、また衰えた視力で読みにくいフォントが小さい紙の本はなるべく買わず、Kindle 電子本を買う。普通なら電子化されるまで1年以上待たなければならぬので、仕方なく紙の本、「NHK朝ドラ「あさが来た」をもっと楽しむ」との赤い帯紙(業界用語では腰巻というのだそうだ)を巻いた菊池秀一著「広岡浅子語録」宝島社刊を買ってしまった。

その後はKindle版で「あさが来た」の種本という古川智映子著の小説「土佐堀川―広岡浅子の生涯」潮出版社刊、同じくKindle版で廣岡浅子自伝「私の70年」の3冊を読んだ。
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ところが今や広岡浅子関連の書籍はKindle版化されたものを含めて既に現在30点を超える。それだけでもヒロインあさの口癖どおり、びっくりポンである。NHKが連続ドラマにしなかったら、その存在すら知らなかった人が(私もそうだが)大部分であろう。ドラマの人気に便乗したコバンザメ商法である。

ここで朝ドラの内容を紹介する積りはない。いまやインターネット上で「あさが来た」とか「広岡浅子」で検索すると、ワンサとばかり無料で情報の洪水だから、知りたい方はそれを見られたい。

ドラマのヒロイン「あさ」のモデルなった実在した広岡浅子(嘉永2年=1849年~大正8年=1919年)の71歳の生涯だから、ドラマの後半になると、父母、舅姑、義兄、姉の嫁ぎ先の舅姑、「あさ」の旦那様と、臨終を迎える場面が多くなる。

書きたいのは、それら死んでゆく者達が、自分の死期を悟り、自宅の病床で家族に言い遺すべきことをきちんと伝えてから逝くことだ。脳卒中などの突然死は別として当時の医学レベルではそれが当然だったのであるまいか。いわば自然死と言ってよい。

現在の日本ではそのような死に方は難しくなっている。医学が進んで平均寿命は世界でも1,2位となったものの、健康寿命との乖離が大きくなった。救急車で病院に運ばれ、意識が回復しないままに徒に延命治療で生かされているケースが多い。
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(健康寿命と平均寿命の乖離)

浅子は17歳で加島屋に嫁いだとき既に肺結核に罹っていたらしく、24歳で炭鉱経営に乗り出した頃は血を吐きながら働いた。28歳で娘亀子(ドラマでは千代)を産む。
倒産した両替屋の親父が昔の誼で金を貸せと迫るのを浅子は銀行はきちんした事業計画と返済計画、担保がなければ貸せないと断ったのを逆恨みされ、闇討ちで腹部を匕首で刺されて腸を切る瀕死の重傷を負う。命が助かったのを僥倖に人命を担保する保険業を始める。

当時は保険会社が全国的に乱立し、採算が悪化したので他社との合併を画策、4社が合併して今も実在する大同生命を興す。

浅子56歳の時、夫広岡信五郎が64歳で死去する。死因はドラマでも、小説土佐堀川でも明示されず胃腸薬の袋が暗示的に映しだされたが、医師からは不治の病と告げられる。喉頭ガンだったらしい。

長年ほうっておいた胸のしこりは乳ガンで、ザクロがはじけたように悪化し、61歳の時東京帝大付属大病院で切除手術を受けるが完治する。驚異的な生命力であり強運の持ち主である。

浅子の生涯に終止符を打ったのは、当時は抗生物質も抗がん剤もない時代だから業病といわれた肺結核でも、また乳ガンでもなく、腎臓炎だった。腎不全という説もある。念願の大同生命本社ビルの落成式で挨拶をした直後に倒れ、数日後に燃え尽きるように71歳で生涯を終えた。当時の平均寿命から考えると大往生であろう。
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(現在の大阪肥後橋 大同生命本社ビル

 この春から始まった「とと姉ちゃん」である。とと(父親)、かか(母親)、3人姉妹の家族だが、第1週で早くも「とと」は肺結核で死ぬ。死を前にしてまだ11歳の長女常子を呼び、「とと」が死んだらお前が「とと」の代わりになって家族を守れと言い遺して死ぬ。「とと姉ちゃんと」呼ばれる所以である。昭和7年頃の話で結核は国民病と言われるほどだった。実際に肺結核患者の死に際はどうなのか私は知らないが、ドラマでは死期を自覚し遺言を残して翌日に息絶える。「あさが来た」同様見事な死に方だった。どちらかと言えばコミカルに演出されていて暗さが感じない。

さて平均寿命を疾うに超えた私はどんな死にざまをするのであろうか?折しも私が入居しているホームから緊急時救急隊員と搬送先医師に渡すもしもの時の安心シート(救急医療情報)を更新して提出するようにとのお達しが来た、
血液型、現在の常用薬、現在治療中の疾病。アレルギーの有無 緊急連作先等々。である。

最後に1筆書き加えた。私は日本尊厳死協会の会員です。回復不能な延命措置は不要です。

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人智の及ばぬ彼方に [時事雑感]

熊本地震と名付けると言った気象庁をあざ笑うように震源は大分県境を越えた。観測史上初めてという。
活断層というのは過去100万年前に動いた痕跡のある地殻のズレをいうのだそうだ。100万年前には、現代に生きる我々ホモサピエンス(ラテン語で賢いヒト)が原人からやっと進化した時期だと言う。 歴史的記録や地質学的知見から帰納的に導き出す地震の予知はたかだか100年の歴史もあるまい。気象庁も今回は予測困難とお手上げである。

 思い出すのは昔駅前留学[NOVA]という全国展開の英会話スクールに在籍していたころのこと。同校では授業は所属する学校でしか受けられないが、Voice Roomという学校やレベルに関係なく全国どこの学校でも共通のチケットがあれば入って英語の自由会話で他校の外国人教師や生徒と交歓できる制度があった。私は西宮北口校に属していたが、時々武者修行に遠征した。尼崎の塚口校に行ったときたまたま地震の話が出た。関東地方は月に2,3度は有感地震があるが関西はめったに地震がないから安心だよと若いアメリカ人の教師に話した。「Oh. That’s good.」とアメリカ人が言った。
それから2日後だった。1995年1月17日野島断層がずれた阪神淡路大震災が起こったのは。以来私は暫く塚口校へは行けなかった。

 今いる老人ホームに初めて見学会に参加したのは12年前のこと。20人くらいの見学者たちは淡路島を眼前に望みながら「地震は大丈夫でっしゃろか」とがやがや云っていた。みな大震災の記憶が新しい。

「大丈夫でしょうよ。この前。断層の歪みが解放されたばかりだから。次にひずみが溜まって起こるとしたら100年くらい先でしょうよ」と私はまた余計なことを言ってしまった。見学会で気に入って即入居を決めた。2006年3月地震から11年目だった。その頃は南海トラフの大地震のはまだ話題にならなかったし、津波が話題になるのは5年前の東日本大震災からだ。

この文を書いている瞬間にも続いている熊本地震。専門家はかつて経験したことがないと言う。自然の驚異は人智の及ばぬ彼方にある。ともあれ、これ以上犠牲者が出ないように祈るばかりだ。

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