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終戦の日に寄せて- アメリカ軍が散布したビラ [時事雑感]

これは71年前の昭和20年(1945年)8月12日、大阪市内に散布されたアメリカ軍のビラである。原文のままであるが、実物は手書きで葉書大、旧字体、旧仮名遣いの縦書きでびっしりで書き込まれていた。ここでは読みやすくするため、適宜句読点を挿入し段落で分けた。但し、旧字体、旧仮名遣いは出来るだけそのままにした。

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「日本の皆様
私共は本日皆様に爆弾を投下するために來たのではありません。お國の政府が申し込んだ降伏條件をアメリカ、イギリス、支那、並びにソビエット聯邦を代表してアメリカ政府が送りました回答を皆様にお知らせするためにこのビラを投下します。

戦争を直ちにやめるか否かは、かかってお國の政府にあります。皆様は次の二通の公式通告をお讀みになれば、どうすれば戦争をやめる事が出來るかがお判りになれます。

8月8日、日本政府より聯合國政府への通告(英文よりの飜譯)
世界平和の大義増進を常に憂慮し給い、また世界平和の大義實現を衷心より念ぜられ、戦争の継續により受くる災難より人類を救済さるべく戦争の早期終局を衷心より願望せらるる陛下の御諚を畏みて日本政府は數週間前、當時中立関係にありしソ聯政府に對し、諸敵國との平和克服の斡旋方を依頼せり。

不幸にも平和のための右努力は失敗したるを以て、日本政府は平和を恢復し莫大なる戦争の災害を出来るだけ早く終結せしめよとの聖上の御希望に副うべく以下の決定をなせり。

日本政府は一九四五年七月二十六日、ポツダムにて米國・英國・支那及び後に記名加入したるソ聯邦の諸政府首脳者によって共同宣言されたる諸條件を受諾の用意あり。

但し同宣言は君主統治者としての陛下の大權を損ずるが如き如何なる要求も包含せざるものとの諒解の下に申し込むものなり。

日本政府は右の諒解が妥當なる事を衷心より希望するものであり、且つその妥當なる事を認める返事が確實迅速になされん事を切望するものである。

アメリカ合衆國、大英帝國、ソビエット聯邦及び中華民國を代表して米國國務長官より日本政府に傳逹したメッセーヂの全文(八月十一日)

「ポツダム宣言が君主としての日本皇帝の統治權を侵害する如何なる要求をも含有しない」と言ふ諒解を挿入して該ポツダム宣言の條件を受理するといふ日本政府の通告に答へ、我々は次の如くその立場を開明するものである。

降伏と同時に日本皇帝及び日本政府の統治權は降伏條件實施に適當と思惟する措置を採る所の聯合軍最高司令官の下におかれるのである。

我々は日本皇帝にポツダム宣言を實施するに必要な降伏條件について日本政府及び日本の大本營による署名に權威を与へ、且つこれを保証する事を要求し、日本皇帝は日本の陸海空軍當局を始め、その支配下のあらゆる地域に所在する総ての軍隊にむかひ軍事行動を停止すべく命令を發し、その外、最高司令官が降伏條件を實施するに要するすべての他の命令を布告する様に要請されるのである。

降伏と同時に日本政府は指定された如く捕虜及び非戦闘員収容者を速かに聯合國運送船に乗船させ得る安全な場所に移送する事を要する。

ポツダム宣言の條項に則り、究極に於ける日本政府の政體が、自由に表明された日本國民の意思に副って定められるべきである。聯合國の軍隊はポツダム宣言において規定された目的が達成される迄、日本に駐屯するであろう。」

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注:このビラは当時大阪に在住し、現在は滋賀県長浜に住む私と同じ会社のOB会世話人のM氏か大阪城で拾い、大切に保存していたのをコピーして送ってくれたものである。

これによると戦争末期の日本政府が降伏の最後の条件として天皇制の存続にこだわっていたかがわかる。
日本語訳には文字の誤用、不自然な点があるが、戦時中日本語を研修した米国の諜報部員が日本政府の英文による回答文を訳したものと推察される。ドナルド・キーンさんも戦時中は諜報部員であった。


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惜別の記 [時事雑感]

とうとう車を処分した。何だか長年連れ添った相方に、未練を残しながらも三下り半を渡すような心境だ。思えば私とエンジンの付いた乗物との関わりは長い。

初めは昭和27年(1952)に「白いタンクに赤いエンジン」のキャッチフレーズで発売されたホンダ技研のカブだった。写真のように自転車に取り付けるエンジンだ。排気量49CC、出力1馬力、爆発的に売れた。それでも新品は私の安月給では買えないから、自転車屋で中古の出物を見つけ通勤用の自転車に取り付けて貰った。原動機付自転車には運転免許証は要らなかった。市役所に届けさえすれば運転許可証とナンバープレートが交付される。それで片道5kmの道を通勤した。上り坂になるとペダルを踏んでやらなければならぬ。ちょうど現在の電動アシスト自転車のようだ。
現在の50ccのバイクが3.8馬力、運転免許が必要となったのに、まさに隔世の感がある。
blog2016ホンダカブ.jpg

次に手に入れたのは富士重工製のラビットという150ccのスクーター。会社の先輩から中古車を譲り受けた。これは軽自動車免許がいる。試験場ではホンダ製の250cc本格的オートバイだった。昭和34年(1959)6月29日と免許証に最初の交付日が記載されている。

次は雨が降っても濡れない、家族も乗せられる4輪車が欲しい。当時住んでいた滋賀県長浜には自動車教習所はなく時間貸しで車を貸してくれる練習場があった。最初の1~2回指導員が同乗してくれるが、ほとんど独習である。プリンスの2000CC車だった。或る程度運転できるようになったので、ぶっつけ本番で瀬田の試験場に行った。2回落第し、3度目にやっと合格して普通自動車免許を得た。

最初の四輪車はダットサン1000の中古どころか大古といえる車だったが、生来の機械いじりが好きでおまけにエンジンメーカーに勤め、入社時の仕事がエンジンの試運転工だったから、車のエンジンは常に自分で調整して整備した。電子制御化された今のエンジンは私にとってブラックボックスだが。

取り立ての免許で、今は故人となった義兄3人を乗せ琵琶湖を一周した。大津の瀬田の唐橋だったと思うが、前をトコトコ走る三輪車ミゼットを追い越した途端、ネズミ捕りひっかかり追越し違反で過料を取られたことと、横浜に転勤し山下公園へ家族と行ったとき迂闊にも消火栓の上に駐車し、駐車違反で過料を払ったことの2件だけが免許取得以来57年間での汚点であることは、永年優良運転手(ゴールド免許)として自慢してもいいのではないかとひそかに思う。

その間、法令の改正により、私の運転免許証はいつの間にか、中型8トン車、大型自動二輪車免許と独り歩きして、もはや私の能力の埒外になってしまった。

もっとも、このblog でも何度も書いているように、最近は脚の骨折や、入院中の踵の褥瘡で車の運転が出来ないでいる。車で出かける時は年下の入居者にお願いして運転を代行して貰う状態だった。もうかつてのような運転の自信もない。施設の駐車料、税金、保険料を考慮して処分を決めた。だがなんだか寂しいのは、現在の免許証は来年10月まで有効期間があることと、これがいわゆる終活の一環だからであろうか。


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日本国民ではない天皇の基本的人権は [時事雑感]

昨日、8月6日天皇陛下のテレビ放送を聞いた。

現行日本国憲法は第一章を天皇に関する叙述に充てている。
第一章 天皇
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく。
第二条 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
(中略)
以下第七条で国事の内容が延々と述べられているが、要するに内閣が決めたことを形式的に追認することである。天皇の権利の及ばない政治家どもが、権力闘争やスキャンダルでくるくる変わる内閣のメンバーを任命したり、国会議事堂に出向いて国会の開会を宣言する。

シンボルだけの国家元首として国賓を接待したり、外国から赴任してくる大使や公使の信任状を接受する。国会で決まった法律に一々毛筆で署名し、天皇印(御璽)を押す。御璽は金印で約9cm角、重さが3.2kgというから、その押印作業は侍従が扶けているのだろう。
blog2016天皇御璽resized.jpg

内閣章勲局が選んだ文化勲章はじめ勲章類を自ら授与する。ざっと見ただけでも大変な重労働である。加えて天皇は天照大神の後裔とされているから、宮中古来の祭祀も務めなければならぬ。厳冬の深夜に勤める祭祀もあるという。(山本兼人著 講談社現代新書「天皇陛下の全仕事」)

現天皇はこの憲法が公布されてから、初めて即位された天皇である。象徴とは憲法の英文版では”symbol”となっている。

「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。」

天皇はこう語り始めた。憲法に定められた国事行為の他に、前例のない象徴天皇とは何なのかを懸命に模索されていたのである。
その一つに、先の大戦での犠牲者への敵味方を超えた慰霊、災害の多い日本での被災者の目線で見舞いをするのが自分の使命の一つに課せられたのである。

憲法上、天皇は日本国民ではない。従って憲法が国民に保障する基本的人権、つまり言論、表現の自由や、何人もその意に反する苦役に服させられないといった人権はないのである。

その制約を知りつつ、人間である天皇は遠慮がちに国民の理解を求められた。天皇のメッセージは重く受け止めるべきであると思う。

テレビで出てくる、いわゆる専門家と称する学者たちは、やれ今後天皇が恣意的に辞められる前例となれば問題だ、過去退位後上皇や法皇となって院政を敷いた弊害もある、慎重に対処すべきだと当たり障りのない、あるいは時代錯誤的な意見に終始した。

「始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相携えてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 国民の理解を得られることを、切に願っています。」と天皇は結んだ。

最近の国事に出席されるテレビニュースで見る両陛下は、見ていて痛々しくさえ思える。天皇を単なる国の象徴でなく、人間としての基本的人権の尊重に配慮して差し上げることが必要であろう。

以下全くの蛇足でるが、私が永年働いた企業は、熱効率のよいディーゼル機関を、小型化して石油資源の乏しい日本の農家にも普及させようと、「燃料報国」をモットーに小型化に挑戦、社長以下技術者たちが何年も苦労した挙句試運転に成功し、喜び合った昭和8年12月23日、奇しくも皇太子誕生の号外の鈴の音を聞き、これは幸先良しと、その日をディーゼル記念日と名付け会社の祝日とした。創業社長から何度も聞かされたものである。

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千代の富士の訃報に思う [時事雑感]

blog201608
横綱千代の富士の訃報が伝えられた。すい臓がんで享年61歳。昨年手術を受けた。1年の生存であった。
それでつい亡き妻のことを思い出した。始めは胃がんで全摘した上、周辺の廓清をし、一時は非常に元気になった。当時の医師は本人には告知をしないのが普通だった。30年前のことである。家族旅行で香港へも行った。それが最後の海外旅行となった。

一年後、すい臓への転移が判明。もう手術はできません。余命1年くらいでしょう。再入院したのは11月だった。私が会社で協賛していたオペラ劇団「関西二期会」の招待で尼崎のアルカイックホールでの公演「フィガロの結婚」を家族で見に行った。突然激痛に襲われ、ホールの階段が降りられない状態だった。翌日入院し年が明け2月に58歳の生涯を終えた。

千代の富士のすい臓がんが、原発性だったのか、転移性だったのか定かでないが、妻がなくなって26年も過ぎた今でも、すい臓がんは効果的な治療法のない致命的な病気なのだなと名横綱の死に思ったことである。私の友人も数年前すい臓がんで京大病院に入院したが半年も生存しなかった。

がんというのは早期発見、早期治療といわれるが、健康診断ですい臓がんの検査なんてまずしないし、発見されたときは手遅れなのだ。調べてみると年間3万人もの人がすい臓がんで亡くなるという。宇宙開発や新元素発見に何千億もの税金を使うくらいなら、3万人を救うプロジェクトもあってもよいのではなかろうか。


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