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ペット介護士と獣医制度の岩盤規制(その1) [時事雑感]

理髪店に行った。シニア会員ウィークデイ割引の店である。入店した順に番号札を取る。待っている間、たまたまテーブルの上にあった普段は見ないにスポーツ新聞を広げた。
「ペット介護士養成講座」獣医〇〇先生監修の広告が目についた。知らなかった。こんな資格があるなんて。

この老人ホームの癒し犬(去勢手術済み)として入居者から愛され、一昨年老衰で死んだ柴犬のゲンちゃんを思い出した。推定年齢16歳、人間で言えば100歳を超えた。犬舎の鉄棒の間から手を入れて肩のあたりを揉みほぐしてやると、気持ちよさそうにうとうとした。私が近づくと嗅覚で覚えていたのだろう。立ち上がって尾を振った。

犬好きな入居者が当番制で毎日散歩させていたが、足を痛めている私は遠慮して専ら肩もみだった。

晩年、ゲンちゃんの老衰が進み、立てなくなると、入居者に代わってホームのスタッフが特殊なハンモック状の補助具でゲンちゃんの体重を吊り上げるように支え、散歩をさせていた。

現在、日本で飼育されている犬は9.878千頭、猫は9.847千頭。ほぼ同数といってよい。平均寿命は
犬は14.36年、猫は15.81年(外猫は13.26年)
飼育にかかわる医療費は一か月、犬8.136円、猫5.435円だそうだ。(以上一般社団法人ペットフード協会)

昔は犬も放し飼いが普通だった。私が子供の頃のイロハかるたの1番は「犬も歩けば棒に当たる」に決まっていた。じっとしておればよいのに、ノコノコでしゃばると災難に遭うということらしい。

昔は犬も自由を謳歌していた。首輪をしていれば一応飼い犬とみなされ、首輪のないのは野犬として捕獲、殺処分の憂き目に遭う。野犬を捕まえる人を私たちは「犬殺し」と呼んだ。針金の輪の付いた棒で犬の首にひっかけて捕えていた。(私は少年期を朝鮮半島で過ごしたから朝鮮での呼び方である。)

土用の暑さ凌ぎに鰻を食べる日本の食文化と対照的に、朝鮮では犬を食べる。補身湯(ポシンタン)という。犬殺しに捕まった不運な犬の行き場所である。

1988年ソウルオリンピックの時、韓国政府は表通りの補身湯の店を外国人の目につかぬよう裏通りに強制的に移転させた。

実はこのblogの前身だった私のHP「Old Joe の部屋」で、少年期に目撃したその残虐な殺し方や、オリンピックの後、ホテルのフロントがこっそり案内してくれたソウル裏通りの補身湯の店での体験記を書いたことがある。だが今回のblogの主題ではないから再掲しない。

閑話休題:現在日本では飼えなくなって保健所に持ち込まれ、引き取り手がなく殺処分の憂き目に遭うのは犬21.500頭、猫79.700頭で、炭酸ガス室での窒息死、筋弛緩剤注射などで殺されている(環境省調べ)

私の住む神戸市では昨年野良猫の不妊・去勢手術を公費で負担する条例を市議会全会一致で可決制定した。避妊手術はもちろん獣医が当たる。野良猫の捕獲は市の獣医師会や地域団体などでつくる推進協議会を設置し、ボランティアやNPOに委嘱する。

さて岡山県に本拠を置く学校法人加計学院が、愛媛県今治市、地方創生総合戦略経済特区に建設中の獣医学部が政争の種となっている。政権側から働きかけがあったのかどうかが争われている。
休会中審議で参考人を呼び証言を取る。

参考人の一人元文科省事務次官M氏は政権側からの政治的圧力があったと明言して、野党を鬼の首でも取ったように活気づかせた。

一方、元愛媛県知事で、自治相の経験もあるK氏はこれまで現政権のもっと以前から愛媛県経済特区に獣医学部を新設するにあたり、東京偏重の中で真っ先に手を挙げてくれたのは加計学院だけだったと証言したが、マスコミは報道の力点を政権側の政治的圧力に置き、K氏の証言はほとんど黙殺した。




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90歳何がめでたい [時事雑感]

私が最後に勤務したK社から創立70周年の式典とパーティの招待状が送られて来たのは4月の初め、
さくらが咲き初めるころであった。期日は6月30日、まさに今日であった。会場は大阪中の島のロイアルホテルである。

3ヶ月も先なら大丈夫と出席を〇で囲み返信はがきを出した。首吊りながら今風デザインのAB7サイズのスーツを買った。カレンダーに6月30日に赤丸を入れた。一進一退の創も3ヶ月先なら治っている筈と思い込んでいた。

私はK社を創業50周年の式典の後退職した。それから20年が経った。50周年当時の社長も、会長であった親会社Y社の社長も、この20年の間に相次いで鬼籍に入った。私も葬儀に参列したのだが、お二方の享年は今の私より若かった。

取引先、親会社、K社の元役員中おそらく私が最長老の出席者であったろう。
しかし一進一退の創は3ヶ月経っても治らなかった。K社総務部の女性に残念ながら出席を取り消します。社長様に宜しくとメールを送ったのは4日前のことだ。

私が愛読している作家の一人である佐藤愛子女史の「90歳何がめでたい」がベストセラーになっているとニュースにあった。私はKindle版を読んだ。

大正13年生まれ92歳の佐藤さんの最近作「晩鐘」を読んでいる。「仲間たちはさよならとも言わずにこの世を去っていく」とある。まさしく私も90歳何がめでたい心境である。


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日本人の姓 [時事雑感]

 NHKの番組にフリーアナウンサー古舘伊知郎さんがメインキャスターを務める「日本人のおなまえっ!」というバラエティ番組がある。日本人に多い姓、珍しい姓や難読の姓などを取り上げ、そのルーツや普及度を調べる。ご覧になっている方も多いだろう。

それで思い出した。どうでもいいことだが私の姓は別に珍しくもない、ありふれた中嶋である。これをパソコンのwordで変換すると中島、中嶋、中嶌、仲島、仲嶋、仲嶌などが入っている。

我が家は長い間、最も画数の少ない「中島」と名乗ってきた。明治25年生まれの亡父がそう書いていたのだ。貧農の出身だった父が滋賀県坂田郡南郷里村の尋常小学校高等科を卒業し、明治40年15歳で大阪の百三十銀行(後安田銀行)に採用された時の辞令が残っている。

私企業の辞令ではあるが、我が家の家族一同、それが正しいと信じて疑わなかったのである。

最近、古い手紙、葉書の入った文箱を整理していると昔の手紙類はすべて中島名でやり取りしていた。私は滋賀県長浜市に引揚げてきたのは終戦の1945年の12月。3月に長浜で就職。その後転勤に伴い、尼崎、茨木、横浜、また尼崎、宝塚と転居したがずっと「中島」で通してきた。住民登録も銀行への届も同様である。

ところが或るとき、宝塚市役所から本籍地、長浜の戸籍原本と違うから職権により「中嶋」と変更しますと言ってきた。多分住基ネットが始まった頃で1978年だったかと思う。1927年に生まれてより50年間は「中島」だったのが突然「中嶋」となった。昔から付き合いのある人はいまだに「中島」と書いてくる。単身赴任中の家族間の書簡も中島だった。

1978年8月に初めて申請したパスポートには戸籍抄本が必要だったから「中嶋」となっている。
亡父も晩年、韓国、台湾、中国に旅行し、旅券申請して知っていたはずだ。それでも死ぬまで「中島」で押し通した。形見の実印もそうなっている。

私が最後に勤務した尼崎の会社でも最初は「中島」と称していたが、今と違い海外出張でアメリカ領事館にVISA申請が必要であったので社内でも中嶋に改めた。

運転免許証は昭和34年(1959)に取得した。当時は「中島」だったはずなのにいつの頃からか「中嶋」となった。

昨年、終活の一環として公正証人役場で遺言書を作成するのに必要な、一統の戸籍謄本を長浜市役所から取り寄せたが、もちろん死去でバツイチにはなっているが慶応5年生まれの祖父の代から「中嶋」となっている。

古舘さんがネタにする稀少な珍名でも、難読名でもない、平凡な名前でも私のようなケースもあるので紹介した。今にして思うと父が勝手に簡略化したとばっちり被ったということであろう。

blog2017辞令.jpg

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一進一退、それを良しとせよ。 [時事雑感]

このBlogでこれまで何度も愚痴ってきた踵の褥瘡である。3年前(2014年2月)インドネシアへの旅から帰国して高熱を発した。地元の徳洲会病院に担ぎこまれ肺炎の診断。ICUで人工呼吸器を着けられ4週間の入院。危篤に陥ったが生還した。

その時の褥瘡だから、今年で4年目になる。通院可能な形成外科は垂水に一軒しかない。
最初の惨状から思えば劇的に創は小さくなったものの、ここ数ヶ月は殆ど改善されない。

一進一退、悪化しないだけよしとしなくてはなりませんね。とドクターは言う。
もうやるべき手立ては尽くしたということだろう。徳洲会病院には皮膚科も形成外科もなかった。踵が褥瘡で壊疽を起こした状態で退院した。徳洲会病院はこの老人ホームの提携病院ではない。

その2年前に右脚を骨折して入院したのは神戸掖済会病院だった。ここでは提携病院で月曜から金曜まで毎日3便送迎バス出ている。3ヶ月近くの入院でも褥瘡は生じなかったのは右脚全体を石膏ギブスで覆われていたからだろう。

だがギブスが外れた後の、曲がらなくなった膝を曲げるリハビリの痛さったらなかった。
担当の理学療法士は、お宅は椅子の生活なら膝を折って座る必要ないでしょうと完全に180度折り曲げることはせず110度くらい止めてしまった。その後遺症で今も正座が出来ず,田舎の法事に行っても他の参席者が正座している中、一人椅子に座る。我ながら大失敗であった。やはり痛みをこらえて正座が出来るまで曲げて貰うべきだった。

もう一つ、3か月に一度眼科の健診に行く。糖尿病の持病があるので、眼底出血の有無、網膜剥離と白内障の検査を受ける。

先週の検査では前回と変化はありません。3か月後にまた来てください。点眼薬カリーユニを1日4回さすことになっているが、しばしば忘れる。この病気も不可逆性で良くなることはない。変化がないというのは喜ぶべきことなのだ。

80歳以上は4人に1人が認知症またはその予備軍MCIと言われる中、脳ドックで検査の結果、私の物忘れは加齢によるものとの診断であった。加齢と言われればどうしようもない。毎日毎日歳月は過ぎてゆく。

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相撲弄談(2) [時事雑感]

今年平成29年夏場所は先場所に引き続き、稀勢の里フィーバーで始まった。実況放送を独占するNHKでは、過去のデータベースを蓄積しているから、横綱が出たのは何県から、何年振りだ、とかの経時的記録の解説には事欠かない。

横綱が日本に帰ってきた!と囃す。第77代横綱稀勢の里は、第65代貴乃花(1995年)、第66代若乃花(1998年)の若貴兄弟以降19年ぶりの日本人横綱という。

若乃花以降は67代武蔵丸(ハワイ)、68代朝青龍(モンゴル)から69代白鵬、70代日馬富士、71代鶴竜と外国勢が続く。

力士の人気のバロメーターの一つに、取り組みにかかる懸賞金がある。土俵に呼び上げられると、すかさず呼び出し達がスポンサー企業の垂れ幕を観客に見せて土俵の周りを練り歩く。公共放送のNHKはその時はカメラを引いて遠景にするが、場内放送ではスポンサーの社名が一々紹介される。

興行時間の制約上、相撲協会に予め認定登録された企業しか出せないし、最大本数も一勝負61本と制限された。61本は27年(2015)初場所の白鵬の33度目の優勝、今年初場所の稀勢の里の優勝時だった。

四横綱が揃った今場所、稀勢の里が先場所、日馬富士に投げつけられての胸筋断裂の負傷が癒えず、早々に戦列を離れた。その前に横綱鶴竜も連敗して休場届を出した。

大関は負け越しても番付が下がるだけだが横綱は負け越しは許されない。それで診断書を出し休場届を出す。横綱特権と言われる。白鵬も先場所は怪我を理由に途中休場した。

興味の焦点は白鵬の35回目の優勝達成なるか、高安の大関昇進なるかに移った。白鵬が千秋楽で日馬富士との横綱決戦を制し、一躍ヒーローとなった。

さて話は全く変わるが、私は力士の体型を見ていて、かねて疑問に思う点があったので、昨日、このホームのクリニックに先週やって貰った血液検査の結果を聞きに行った折に、かかりつけ医であるH先生に愚問を発した。

「先生、相撲取りには男にしては女性のFカップほどに巨乳もいるし、太鼓腹のあんこ型もいますね。あれは何が入っているのですか?筋肉ですか?脂肪ですか?」

「脂肪ですよ。女の人のおっぱいも殆ど脂肪のかたまりです。相撲ほど人工的に体型を作り変える格闘技はありませんよ。」とドクター。

「ははあ、投げつけられたとき脂肪がクッション材となって衝撃を吸収するのですかね。
重量=力という西洋的発想では、かつて日本発祥だった柔道が国際化して体重別にクラス分けされてしまいました。小よく大を倒す技(わざ)とか気合という要素は考慮の外ですかね」

「引退した後、如何にバランスよく脂肪が落とせるかが大事ですね」とドクター。

次の予約患者が来ているらしかったので、お喋りを切り上げた。
考えてみると脂肪がたぶたぶしていない、筋肉質の力士もいる。そういう力士は怪我が多いようにも見える。
「一番、一番、自分の相撲をとって結果を出すだけです。」どの力士もインタビューで言う。健闘を祈る。

蛇足ながら糖尿病の持病がある私の血液検査は、血糖値のチェックが主目的だったが、結果は血糖値(グルーコース)107、HbA1c 6.5でまずまずの結果だった。
るい痩で体重不足だから、ちゃんこ鍋でも食べてもうちょっと太りたいところだ。

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容共排日」情治国家の新大統領 [時事雑感]

「一国の政権が交代しようと過去の政権が外国との間で締結した条約に拘束されることは法治国家である以上当然のことである。

それを過去の条約は我々の為にならぬから、なかったことにする、と新韓国大統領は言う。

安倍首相が韓国を我々と民主主義の価値観を共有する国と持ち上げてきたが、とんでもない。彼我の価値観は180度食い違っている。

相手は法治国家でなく情治国家であることをこのblogで度々触れている。その時々の国民感情に寄り添った選択をする。

1986年夏、私は41年ぶりに仁川(インチョン)の母校、小学校と中学校を訪れたが、黒板の両端の壁に「反共」「反日」の額が掲げられていた」反共は朝鮮戦争を戦った北朝鮮に対し、反日は言うまでもなく日本である。

反日の合言葉はその後、克日となった。大統領選挙で親日的態度を見せたら絶対票は入らない。メデイアからも袋叩きに遭う。反日を叫んでも誰も表向き反対できない空気になっている。
慰安婦問題、歴史認識。竹島(独島)を今後もことあるごとに持ち出してくるだろう。

韓国が日本を敵視するのはいわゆる日帝支配35年間の恨みだけではない。かつての中華民国の世界文明の中心は中国にありとする中華思想、それに隷属していた朝鮮・韓国の小中華思想がある。
日本はその文明圏に属していなかった化外の野蛮人だった。倭奴(ウエノム)(日本人に対する蔑称)だった。

文字も、仏教も、陶磁器、織物も朝鮮から日本に伝えてやった。そんな野蛮国に征服されたことに腹が立つのである。前にも書いたが韓国・朝鮮人は「恨(ハン)」を抱いて生きている。自分の力の及ばないもの対象にする。或るときはお上(政府)或るときは自身の運命に、日本にという具合である。今では恨は日本に向けられている。スポーツでも対日本の試合は恨を晴らす時なのだ。日本にだけは負けたくないと異常に燃えるのである。

むしろ日本統治時代を体験した庶民たちは、一握りの抗日独立運動家を除いては親日的だったことはこのblogでも書いた。特に我々の年代になると儒教の敬老心の残る中・高年者層に道を尋ねると、親切に自ら先に立って案内してくれたものだ。

日本統治時代以降の世代は学校で反日教育を受けている。ソウルから南へ高速バスで1時間ほど南の天安市に金永三大統領時代に作られた独立記念館がある。

そこでは日本統治時代を、ナチスのホロコーストになぞらへ、如何に日帝が朝鮮民族を抹殺しようとしたか、如何に独立の志士たちが残虐に拷問され、殺されたかを写真、ジオラマ、マネキンを使って子供たちに教えている。何年か前、私が行った時は教師に引率された小学生の団体が何組も来ていた。

是非一度、安倍首相や日本の議員団、親韓的NHKにも行って欲しいものだ。
https://www.i815.or.kr/jp
.個人的には日本に旅行して親しみや好印象を持つ若い人も多いようだが、帰国して親日を公けに口にするのは勇気のいることのようだ。

北が原爆やミサイル実験を実施すると日本やアメリカと共に非難するのは、韓国としては気の進まないことだろう。北が南の同胞に対して原発やICBMを使う筈はないと思っているだろう。

アメリカがミサイル迎撃装置THAAD(Terminal High Altitude Area Defense missile)を持ち込むのは内心迷惑に違いない。中国はTHAADの韓国配備に猛反対である。韓国は板挟みになっている。その事情も日本としては忖度してやるべきではないか。

蛇足ながら韓国では北朝鮮のことを北韓(プツクカン)、北朝鮮では韓国を南朝鮮(ナムチョソン)と呼んでいる。




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米朝接近は夢だったのか [時事雑感]

今朝ネット上に以下のようなニュースが現れた。
          ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

【北京、東京共同】トランプ米政権が北朝鮮の核・ミサイル開発放棄を条件に、金正恩朝鮮労働党委員長の訪米を招請し首脳会談に応じる用意があると中国政府に伝えていたことが8日、分かった。これに加え、体制転換や米軍による進攻などをしない「四つのノー」も保証するとしている。複数の外交関係筋が明らかにした。中国は水面下で北朝鮮に伝達したもようだ。

 朝鮮半島情勢の緊張緩和のため、北朝鮮側の態度軟化を促す狙い。空母派遣などで軍事的圧力を強める一方、中国を仲介役に説得工作を本格化させたことが明らかになり、硬軟両様で核放棄を迫るトランプ政権の交渉戦略が浮き彫りになった。

          ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 1週間ほど前にトランプ大統領がツイートで金正恩はあの若さで競争に勝ち抜き、国のリーダーになった。インテリジェントな人物のようだ。と書いているとのニュースがあった。私自身は大統領のツイートをフォローしていないので、確たる裏付けがないが、その記事を読んだ後の、上記の今朝のニュースだ。二人の顔写真も並べられていた。

私としては素晴らしいニュースだと思い、画面をコピーしてblog原稿のファイルに入れた。それが
冒頭の☆印で区切った文である。

その後のテレビニュースを待っていたが、どの局も一言も報じない。韓国の大統領選挙のニュースばかりである。まさかガセネタだったのか。国会中継でも誰も触れない。北朝鮮はけしからんということばかりである。

偶然その時、このホームに出入りしている顔なじみの銀行の女性から別件で電話があったので、私はグッドニュースがあるよと上記のニュースを読み上げた。彼女も驚いていた。ガセねたなら私は彼女に嘘をついた形になった。

誰がなっても反日的な韓国大統領の選挙ニュースより、上の米朝会談の方が大ニュースなのに残念である。

後でよく見ると「北京 東京共同」という通信社はない。やられたか!物事はこちらにかねがねそうなって欲しいとの願望があるから鵜呑みにしてしまったのか。

改めてネットで探しても忽然と消えてしまっていた。


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ニュースこぼれ話 [時事雑感]

連休でもあまり歩かぬようにとドクターストップの身だから、徒然にタブレットに入ってくるニュースを見ている。またしても英国BBC発の興味深い1篇があった。

Patient dies after 54 years in hospital(54年間入院中だった患者が死去!
前回の世界で最も重い女性エマさんのニュースと同じくBBC本文は英語だが頭の体操を兼ねて要約する。
JamesMorris.jpg

James Morris ジェームス・モーリス元兵士は1962年スコットランド兵としてドイツに派遣されていた時、交通事故に遭う。外傷は鼻骨、大腿骨を負傷しただけだが、脳の一部を損傷し入院したが、手術台の上でcardiac arrest心拍停止を起こし植物状態にななった。術後North Lanarksshire、AirdrieのWester Moffat Hospitalウエスター・モファット病院に移送された。先月75歳で死去した。入院したのは弱冠21歳の時だった。
JamesMorrisat young.jpg

BBCがニュースとして取り上げたのは、一つの病院でこれほど長く入院が認められたケースはイギリスでは前例がないという点だ。

Coatbridgeコートブリッジから来た弟のカール・モーリス氏は、兄は殆ど喋れなかったが、辛うじて3語、home(実家)、pub(居酒屋)、馬の3語を発声することができた。兄の好きだったものだ。それで病院は時々兄をパブに連れて行ってくれたようだ。

ウエスター・モファット病院の主任看護師ヘレン・ライアンは、ジミーは長い間ここにいて物静かな人だったので病棟の誰からも好かれていました。ご遺族に心からお悔やみを申し上げますと語った。

弟のカール・モーリス氏は、独りの患者をこれほど長く診てくれた病院のスタッフの対応は実に素晴らしかった。感謝している。またNHS(National Health Service.国立保健局)にも感謝してやまない。
兄の悲願を叶えてやるため亡くなる1週間前に実家へ連れ帰ったという。

(訳注:NHSは難病や生活困窮者は国費で医療費を補助する)

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世界一重い女性 後日譚 [時事雑感]

このblogの昨年12月9日付で「ニュースこぼれ話・世界一重い女性」と題し英国BBCニュースを取り上げた。エジプトのEman Ahemed Abd El Aty(略してエマンさんとした)は推定体重500kgと現時点で存命する人間としては世界一で、インドのムンバイのサイフィー病院で体重削減手術を受けるというニュースだった。その後日譚が昨日付のBBCニュース電子版で報道された。

念のために12月9日の記事の一部を再掲する。
「最近英国の国営放送公社BBCで取り上げられた、現時点で生存する世界で最も重い女性はエジプトのEman Ahmed Abd El Aty (名前が長いから以下エマンと略す)。エマンさん(33歳)の推定体重は500kg. 自分では動けない。母親と姉が介助している。最近軽い脳梗塞にかかり寝たきりになった。500kgが本当なら、これはギネスブックの現記録ホルダー、アメリカのポーリン・ポッターさん、292kgをはるかに上回る世界最重女性の出現だというニュースである。

このほどインドのムンバイの病院で体重削減手術を受けることになった。普通の飛行機には乗れない。チャーター便になる。カイロのインド大使館にビザ発給を申請したが1人では旅行不可能と拒否された。

彼女の手術を担当するLakdawala医師は、これまでインド政府閣僚たちの手術をした実績があり、たまたま腎臓移植のため入院中のインド外務相(女性)に訴えたところ。インド外務省がエマンさんを全面的に支援することになった。

エマンさんの家族によると彼女はもう25年間、外出したことはない。生まれたときの体重は5kg、11歳の頃から急速に大きくなり過ぎて歩くことが出来ず這っていたそうだ。医師から寄生虫性の疾患で骨や内臓が異常に膨れる象皮病と診断されたという。

エマンの姉がムンバイの病院のラクダワラ医師に連絡してきたのは昨年10月のことで、医師は象皮病ではない、肥満に繋がるリンパ障害と判断し、手術をするため募金活動を開始した。

体重削減手術は物理的に胃を縮めて少量の食物で満腹感を感じるようにするのだという。
今週にエマンさんはミンバイに到着するが手術のため2~3か月の入院が必要だし、帰宅しても体重を100kgまで落とすのに2~3年かかるだろうとラクタワラ医師は言う。」

さて、後日譚はここから始まる。

今回報じられエマンさんの姉Shaimaa Selim(sisterとあり、姉か妹か判らないが一応姉シャイマ-
さんと略すことにする)と病院側の悶着だ。

先週病院側はエマンさんの体重は250Kgまで落としたと発表した。

世界で最も体重が重いとされてきたエジプト人女性エマンさんの姉は手術をした医師たちは嘘をついていると非難している。

エマンさんはインド、ムンバイの病院で体重削減手術を受け、先週医師団は体重が250kgまで減ったと発表した。

だがエマンさんの姉は、それは事実でない。妹の健康状態はデリケートで脳卒中(stroke)
になっているようだと言う。

病院側は激怒して非難を撥ねつけている。論争は月曜日にエマンさんの姉シャイマーがSNSに短いビデオを投稿し、妹は今も話すことも動くことも出来ず、病院が言っているほど体重も減っていないと。

火曜日、シャイマーさんはBBCの取材に対し、病院は減量について嘘をついている。手術を主導した医師ラクダワラ博士は術前、術後の体重も測っていない。

妹の健康状態はデリケートで、酸素の取り込みが正常でなく、常時酸素マスクを着けていなければならぬ。口から食べたり飲んだりできないので鼻から胃までチューブがつけてある。

しかし病院のスポークスマンはBBCにエマンさんの体重を月曜日に再度測ったところ172kgだったと言う。ラクダワラ医師はツィートで姉の非難を強く否定した。
「シャイマーさん、あなたは人類愛を暴言で吹き飛ばした。あなたは自分が何をしたかを認めれば神様だけが許してくれるでしょう。私はエマンさんの為に治療を続け祈ります。」

エマンは11歳の頃から脳卒中を起こし、25年間も寝たきりだった。去る1月特別チャーター便でインドムンバイのサイフィー病院に運ばれ、ラクダワラ医師の率いるチームによる肥満手術を受けた。

病院側は、エマンさんは今では車椅子に長時間座って居られるようになったと減量手術後の写真を公開した。

Before
blog2017before.jpg

After
blog20170426_after.jpg

告発した姉シャイマーさんは窮地に陥っている。病院側はエマンの治療は大体完了した。間もなくアレキサンドリアへ帰宅させることができるという。

このようなケースは世界の他の国でも生じている。アメリカをはじめ肥満患者の多い国では体重を正常に戻すまで1年も2年も入院する。

「でもここでは手術後1か月や2か月で先生たちは妹を連れて帰れると言うのよ。一体どうやって!先生方に聞きたい。妹はまだ大きいし、エジプトに帰ってもし何かあればどうやって病院に連れて行くのよ!そんなこと不可能だしエジプトでは誰も私を助けてはくれないわ。どうかお願い。お願いだからここにいさせて、妹がもっと痩せるまで。」

Bariatric surgery肥満手術、またはweight loss surgery減量手術は,肥満が危険な状態
(BMIが40以上または35以上で肥満に伴う疾患がある場合)の最後の手段として執られる。

最後に私事ながら筆者Old JoeのBMIは19.6 肥満度Lマイナス11です。










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ニュースこぼれ話(1) [時事雑感]

☆ トランプ大統領がAmerica Firstというと、新モンロー主義だの独善的だのとマスコミはレッテルを貼る。大統領は自国の国益の為に仕事をすると宣誓したのだ。当然のことではあるまいか。

日本の首相にしても日本の国益第一に仕事をする。もし安倍首相が私は日本の国益の為よりもアメリカの国益優先で仕事をしていると言ったらどうなるか。言わずもがなである。

☆ 北朝鮮がミサイルや核実験を行うと、それは挑発provocationだという。それに対しアメリカ、韓国が斬首作戦と名付けた合同軍事演習は挑発ではなく単に演習exerciseという。

そもそも朝鮮半島を南北に分断したのは、日本でも中国でもなく、旧ソ連とアメリカだ。歴史に「もしも」はないというが、トランプ氏は大統領になる前は北朝鮮のリーダーに会ってもよいと言っていた。もし相手が先代の金正日総書記だったら喜んでトランプ氏を歓迎しただろう。

建前としては抗美(朝鮮・韓国語・中国語でアメリカを美国と呼ぶ)を叫んでも、本音はアメリカに北朝鮮を認めて貰いたかったのだ。交渉のカードとして原爆を開発させた。このことはこのblogで前に何度か触れた。

三代目金正恩になって原爆、ミサイルの技術が加速的に進んだ。商売人のトランプ氏がdealとして金正恩と交渉始めたら、美国は遂に我々に屈したと北側は高言するだろう。タカ派の側近が多いトランプ氏はそれ冷静に聞き流せるだろうか。

フロリダで米中会談中、トランプ氏は晩餐会のデザートを食べながら習近平主席に「たった今シリヤのアサド政権に巡行ミサイル59発を撃ち込んだと耳打ちした。習主席は暫時凍り付いたそうだ。中国が北朝鮮を抑えることができないなら、アメリカがやると言った。

巡航ミサイルトマホークは人工衛星GPSで自らの現在位置を自動的に修正しながら目標物を狙うように飛ぶ。以前は予め組み込まれたプログラムで飛んだが、現在は進化してミサイルは解像度の高いカメラの目を装備している。制御は発射した駆逐艦内部か、あるいはアメリカ本国の管制室からまるでテレビゲームのように制御するので命中率は高いそうだ。59発という量は古い型の在庫整理ではないか。戦争というのは畢竟敵の基地や兵員を破壊、殺傷することだ。巡航ミサイルは味方の人命を損なうことなく敵を狙い打ちできる。

トランプ氏はオーストラリア訪問中の原子力空母カールビンソンとその護衛艦隊を東シナ海に回航させた。北朝鮮牽制のためだ。カールビンソン号はかつてテロ組織アルカイダのオサマ・ビンラデンをアメリカの特殊部隊が殺害した後、その遺体の水葬に使ったという因縁のある空母だ。

さらに昨日、原爆以外では最強の破壊力を持つという新型爆弾MOABを実戦配備後初めてアフガニスタンで使った。ISの地下拠点を狙ったとされるが、これも北朝鮮を牽制したものだろうと新聞が報じている。危険な賭けである。

 蛇足ながらに東京、大阪をはじめ日本の都市を無差別に焼き払った焼夷弾は大量破壊兵器として、ベトナム戦争で使った枯れ葉剤爆弾と共に現在は禁止されているそうだ。

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超高齢化社会を生きる(3) [時事雑感]

「つかもと創傷クリニック 塚本先生 侍史」
月曜日に新須磨病院の形成外科の辻先生が書いてくれた封書を今朝持って行った。陰圧療法の塚本医師が書いてくれた紹介状への返書である。

この侍史と古典的な用語は医師仲間の慣用句になっている。語源は貴人に直接渡すのは畏れ多いので、あなた様のご祐筆(秘書)に差し出します。という意味だそうだ。

常に最先端の理論、技術を追究する医療の世界にこの時代がかった敬称が残っているのは面白い。

診察券に添えて受付に出す。陰圧療法は通院では出来ないとの回答であろう。順番がきて呼び込まれた処置室で塚本医師に言った。

「もうここへ来て3年が過ぎました。こうなったら昨年はお断りしたものの、この際4週間くらいなら入院して、皮膚移植なり、陰圧療法なりやってもらいます。今の状態ではどこへも行けず、私に残された時間も少なくなりました。早く治したいです」白旗を掲げた。

「うーん、取敢えずはこれまで通りフィブラストスプレー(科研の細胞製剤)をした後、新須磨病院で出された被覆材を小さく切って、傷に嵌め込むようにしてテープを貼ってみてください。軟膏を塗るのは一旦止めてみましょう」ボールは先生の方に投げ込んだ。

帰ってくるとテレビニュースが京唄子さんの訃報を報じていた。89歳同年である。

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超高齢化社会を生きる(2) [時事雑感]

今回は脳ドック受信体験記である。日本には認知症患者が600万、その予備軍と言える軽度認知障害(MCI)が500万人という。
NHKの「あさいち」という番組で取り上げられ、MCIに対する関心が高まった。

MCI(Mild Cognitive Impairment)の定義
1. 本人や家族(介護者)による「もの忘れ」の訴えがある。
2. 加齢の影響だけでは説明できない記憶障害が客観的に示される。
3. 日常生活能力は自立。
4. 全般的な認知機能(思考力、判断力など)は正常
5. 認知症はない
6. 認知機能に影響を与えるような身体的疾患を認めない。
(メイヨークリニック、ピーターセン博士の診断基準を改変した臨床上実用的な定義)
主婦と生活社刊 奥村歩著 「MCIを知れば認知症にならない」から孫引き。

奥村医師によるとMCIを日本語で軽度認知障害と訳したのは間違い。軽い認知症と誤解を生んでいる。MCIは手当てせず放置しておくと1年ぐらいでアルツアイマー型認知症に進む確率が10~15%くらいあるということだ。

★MCIが心配なもの忘れ  
 近時記憶、展望記憶の障害 
 自ら体験したことの忘れ       
 体験したこと全体をすっかり忘れる (例:昨日レストランンへ行ったこと自体)
 人から見ても違和感 (それは忘れないでしょうという重要なことを忘れていたり、約束を忘れる)  
ヒントをもらっても思い出せない。
繰り返しもの忘れが生じる
時間と共にもの忘れの程度が悪化していく。

☆MCIの心配のないもの忘れ(加齢によるもの忘れ)
近時記憶、展望記憶の保持

人の名前や常識的な知識など一般的なことの忘れ

体験したことの一部分の忘れ(例 昨日行ったレストランのメニューの一部忘れ)
人は気にならない程度の忘れ
ヒントをもらうと思い出せる
偶発的なもの忘れ
もの忘れの頻度は大きく変わらない


さて私自身は最近もの忘れがひどく、多分MCIではないかと思っていることを以前このBlogでも書いた。

私のいる老人ホーム内にあるクリニックの医師(かかりつけ医)に訴えると、垂水駅ちかくの商店街のど真中にある小早脳神経外科クリニックが最新のMRIを持ち脳ドックをやっているからと予約を取り紹介状を書いてくれた。前回書いた新須磨病院に行った午後である。

予約時刻が3時40分。地元垂水の商店街ではいつも同じホームの人たちと出会う機会が多いから敬遠し、新須磨病院前の鄙びた商店街で昼食を摂った。病院前はまるで社寺の門前町のように調剤薬局や、喫茶店、うどん屋、蕎麦屋などが並んでいる。先ずは病院で処方された傷の被覆材を薬局で買い、コーヒーショップのランチタイムで時間を潰した。

10分前に入れとの指示なので新装開店した垂水駅ガード下の商店街を見物して時間を調整した。
受付で問診票を渡され裏表びっしりの質問に答える。今何年何月何日、何曜日か、何時の予約ですか。これはもう見当識(時間観念)のテストらしい。生年月日、年齢、住所、身長、体重、既往歴、今日は何故来たのですかの設問にMCIでないかと思うと書いた。

予約は20分ごとに入れているから一人20分間で終わるらしい。看護師に呼ばれ、診察室に。小早医師は私の問診票を見、日付が違ってますよ、4月4日と書いてある。今日は3日ですよ。あ、しまった、見当識で減点だな。

看護師に従ってMRI室に入る。身に着けている金属製の物、湿布薬貼ってますか。貼ってたら取って
ください。義歯、補聴器は容器を持参した。眼鏡、ベルトのバックルが金属だから全て外す。

頭を撮像するのに変だなと思いながら、MRIは音が大きいですねと言うと、耳栓貸しましょうか?
いやいいです。以前別の病院で脊柱管狭窄症の検査の時、騒音を経験しましたが、今は耳も遠くなっていますから。

数分間というのが長く感じられた。終わって看護師さんが認知症の長谷川式認知症スケールのテストをする。途中それはそうと身長、体重いくらでしたっけ、と聞く。これも問診票に書いたのと違う数字を言わないか、さりげなくチェックしているのだ。胸の名札を見ると小早、夫婦でやっているらしい。

http://www.chiba.med.or.jp/personnel/nursing/download/text2012_10.pdf

最後また診察室に入る。認知症のテスト、日付を間違えた以外全く言うことはありません。
紹介状をを書いてくれたホームの医師に対する報告書の封書とMRIの画像の入ったBlue ray Diskをくれた。返却の必要はありません。

料金は後期高齢者医療保険1割負担で3060円。保険外自己負担540円。これが画像のディスクのようだ。これが私のPCでは再生できなかった。ホームの医師に預け、昨日小早クリニックの報告書の内容を聞きに行った。Blue ray ディスクの画像も見せてくれた。

小早クリニックのレポートには長谷川式テストは高得点で言うことなし、MCIも該当せずとの返事だった。「えーつ、じゃあ、このもの忘れのひどいのは何でしょうか?」と聞いた。
「加齢によるもの忘れでしょう」

ああ、それを言われたらおしまいだ。馬齢を重ねているのは厳然たる事実だ。超後期高齢者としては首をかしげながらも引き下がらざるを得なかった。


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超高齢化社会を生きる(1) [時事雑感]

生死の境を彷徨して、甦ってから丸3年以上が経過した。その時、担ぎこまれた神戸徳洲会病院の医師がホームの支配人と、駆け付けた義姉(と言っても10歳以上若い。亡妻の兄の連れ添いである。義兄は早くに物故した)への病状説明書のコピーがある。失礼ながら私に劣らぬ悪筆で判読を要する。
わが娘たちはアメリカ在住だから間に合わないかもしれぬ。危篤の知らせを受け、とりあえず地理的に最も近い滋賀県にいる義姉に電話したらしい。

病状説明に戻る。
細菌性肺炎・酸素の取り込み不良を起こしている。呼吸不全。
右肺に斜線を何本も引いてある略図がある。

人工呼吸器を付け鎮静剤で眠らせている.。血圧を抑える薬を使っている。
抗生物質を使って治療中。耐性菌のため万能の薬はない。致命薬になり得る。
急変し血圧が低下すると昇圧。

心臓が止まっても心臓マッサージなどの蘇生術は行わないこと了承された。

私はICUの中で昏睡していた。その間色々な不思議な夢を見ていた。アメリカの西海岸にいる娘、東京、福岡の妹たちが来たときは、半覚醒状態だった。

ともかく助かったからこうして生きている。西田敏行のCMにある肺炎球菌ワクチン接種をして3年目だったから助かったのだろうか。

その時の踵の褥瘡を未だに治療中であることをこのブログで何度も書いた。毎週金曜日、形成外科へ行くほか、自室では朝夕傷を洗い自分で手当てする。最初はホームの健康相談室のナースが来てくれていたが、毎日のことだし、私はまだ介護認定を受けていず、要支援でも要介護でもないから、半年くらいで断わられてしまった。介護を要する入居者が増えたのである。看護師、介護士不足は今や社会問題でもある。

垂水区で唯一の形成外科クリニックの塚本医師は次々に新しい薬を試す。昨年暮れに皮膚移植やってみますか。4週間の入院になります。いやもう入院は勘弁してくださいと断った。

最近、学会に出席のため臨時休診があり、先週金曜日に行くと、陰圧療法という真空ポンプで陰圧をかける療法があります。入院でなく通院でできる療法があるようです。機器が高価だからうちでは買えませんが、新須磨病院にあるようです。紹介状があれば予約は不要ですとの書いてくれた。

新須磨病院は3年前、塚本医がこの褥瘡は皮膚移植が必要と回された病院である。紹介状を持って、今週3日の月曜日に行った。形成外科の医長は3年前と同じ女医の辻先生である。
3年ぶりに行って病院が新しく建て替えられているのに驚く。受付から、診察、会計まで一貫してIT化されている。

形成外科の前の待合室も広く、ソファーも上質で座り心地がよい。朝9時半からだから10時半ごろでよかろうか思って行ったのだが、延々と待たされた。受付で貰った番号札には紹介患者248番とある。覚えやすい番号だ。診察室の前にLDEで表示される。
「現在○○時XX分予約の○○番診療中、次は○○番」次はに私の番号が現れたのは11時半近かった。やっぱり電話で予約を入れておくべきだったかと飛び込みを反省した。

結論を急ぐと陰圧吸引はお勧めできない。踵にパイプのついた吸盤を残置するから通院では無理。傷はもう小さいのだから今までの治療でいいでしょう。塚本先生に返事を書きますと書いてくれた。今週金曜日に持って行く。

さて実は同じ月曜日、もう一件、脳ドック予約が入れてあった。ホームのクリニックの医師にMCI(軽度認知障害)の自覚症状があり、物忘れがひどくなって困っている。どこで診てもらえばいいでしょうか?と問うと、垂水駅近くの商店街に、最新のMRI装置を備えたクリニックが出来た。紹介状を書いて午後3時50分に予約を入れてくれた。つまり月曜日は午前中が新須磨病院、午後は垂水の小早脳神経外科クリニックのはしごだった。

その体験記は次回に書くことにする。

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続 情治国家韓国の混迷。 [時事雑感]

韓国の憲法裁判所は全判事が大統領の弾劾を有効と認め朴槿恵大統領を失職させた。また特任検察官は元大統領を起訴し、証拠隠滅の惧れありと逮捕状を執行し拘置所に拘禁した。

いずれも巷間、特にソウル市内に荒れ狂う罷免、逮捕の国民情緒に沿う決定をした。もし多数派の国民感情を無視して反対の決定をすれば、今度はそのマグマは自分たちに向けて噴出する。それを避けたのだろう。

歴代の大統領がそうであったように、判決は無期懲役、特赦、放免のコースを辿るのであろう。今回の大統領支持派の人々はテレビニュースで見る限り彼女の父の時代を知る高齢者層が多かった。

思えば1970年の大阪万博の韓国パビリオンには当時の朴正熙大統領の大きな肖像額が掲げられていた。彼は日本の士官学校で学んだから、知日派かつ親日派であった。日本側はわざわざ彼の昔の教官を招いて彼を感激させ、日韓基本条約を結んだ。恩師を貴ぶ儒教精神を利用した感がある。

その時李承晩ライン内に取り込められ、既に紛争の種となっていた竹島(独島)を、彼はそんな人の住めない岩礁なんかいっそのこと爆破してしまえと言ったと伝えられる。

独島と女子挺身隊少女像(韓国側は女子挺身隊=従軍慰安婦=性奴隷と論理を飛躍させている。)独島防衛のための日本を仮想敵国とする軍事演習を繰り返している。

朴槿恵大統領の失職を受け5月に実施される新大統領は反日候補が優勢だという。韓国のマスコミ(韓国語で言論界という)も、政治家も反日を唱えれば誰も反対できない。安倍首相の慰安婦救済基金として10億円を支出したのは捨て金になる恐れがある。

次期大統領の座を狙って帰国した国連事務総長 幡基文氏はそんな金は日本に返せと息巻いていたが、昔ながらの派閥抗争の韓国政界に絶望して立候補を断念した。

戦後、韓国の学校では反日教育をしていたものの、日本統治時代を経験した世代は極めて親日的だった。その例を挙げる。

ソウルから電車で50分、終点の仁川(インチョン)駅から出ると、同じ列車にから降りた老婦人が近づいてきて道を尋ねる。
「私に道を聞かないでくださいよ。日本から来たのだから」と言うと、
「私の娘が大阪にいます。富川(プチョン)から花見に来たのです。ご一緒しませんか」と自然に並んで歩きだした。私が電車の中で「地球の歩き方」という旅のガイドブックを繰っているのを見て、日本人と知って話しかけたらしい。まるでナンパされているようでおかしかったが、当方も漫遊の途中だから断る理由はない。

高台の自由公園へ行った。ここは子供の頃は西公園という名で、学校の近くだったから、よく遊びに来た懐かしい公園である。サクラはまだ早かったが、韓国の春を彩る黄色いケナリ(連翹)とチンダルレ(葉っぱよりピンクの花が先に咲く高麗つつじ)が満開近い。二人でベンチに座ると、独りより二人の方が楽しいと持参のパンと牛乳を分けてくれた。

そこへ別の老婦人が一人やって来た。戦争中は対馬の小学校にいた。日本時代はよかったと言う。今日みたいな反日思想は微塵もなく、日本統治時代を懐かしんでいた。

対馬のオモニと別れた後バスで月尾島(ウォルミド)へ同行した。仁川市内から突堤で繋がっている島である。ここも子供の頃、父や弟とよく魚釣りに来た。バス代を出すと「客地に来て余計なことするな」と制して私に払わせない。月尾島は遊園地になっていた。

挙句の果て、うちへ夕飯を食べにおいでなさいと熱心に誘われ、松内(ソンネ)駅で途中下車する。林立する高層アパート群の中、14階にある2Kの部屋だった。いそいそと支度をして並べる。食後、お茶にしますか、それともコーヒーにしますか?と聞かれ、「今は電気釜だからもうスンニュンなんて飲まないのでしょうね」と私としては世間話のつもりで言った。昔は茶葉が高かったから、庶民はご飯を炊いた釜の底にできるお焦げに湯を入れて飲んだ。スンニュンという。

彼女は電気釜のご飯を鉢に移し、そこへ白湯を入れ、スンニュンの香ばしさはない釜の洗い汁を茶碗に入れ差し出した。

もう帰りますというと、また松内駅まで送ってくれた。「今度来るときはホテルに泊まらずうちへ泊りなさいな。もうお婆ちゃんだから一緒に寝ようなんて言わないからご心配なく」
とオホホと笑った。名前も電話番号も聞かなかったから(或いは聞いたが忘れたのかも知れぬ)二度と会うことはなかった。

私はこの話を宝塚の「北十字星文学の会」の月報に、「薄いスンニュン、厚い人情」と題して投稿した。


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稀勢の里フィーバー [時事雑感]

この春場所は21年ぶりの日本人横綱誕生ということで、マスコミも相撲ファンも大はしゃぎだった。最近はモンゴル勢、朝青竜、白鵬、日馬富士、鶴竜と横綱を独占の状態だったから騒がれた。大阪のタニマチは渋いと見えて、今まで横綱戦にかけていた懸賞本数も今場所は稀勢の里以外はぐんと少なくなった。

学生横綱からスピード入幕した遠藤にかかる懸賞本数の方が多い。モンゴル勢としては面白くない。それに最近の傾向として大関、横綱の優勝が1回で途切れ、豪栄道、琴奨菊、日馬富士、鶴竜の場合のように二場所連続優勝がない。

大関は二場所連続負け越すと、関脇に下がるだけだが、頂点に立つ横綱は負け越すと引退しかない。連続優勝記録を持つ白鵬は今場所平幕に連敗して休場の道を選んだ。

いずれにせよあまりにも稀勢の里ばかり騒ぎ立てられるからモンゴル勢としては面白くない。それで日馬富士が意趣返しに弾丸のように稀勢の里を襲い怪我をさせたのだとの無責任な噂がネット上に流された。日馬富士は起き上がれず苦悶する稀勢の里に驚き、「大丈夫かな。でもお互い勝負ごとだからな」と弁明していた。

稀勢の里と同じように勝ち進んできたモンゴル出身大関照ノ富士は、大関から関脇に転落した琴奨菊を立ち上がりさま変化してはたき込み、観衆から凄いブーイングがあった。
「コラ、まともに勝負せい、モンゴルへ帰れ」流石にNHKの実況ではそこまで伝えなかったが、解説者ははたき込みは大関、横綱のやるべき手ではない。堂々と突くか組んでの相撲をとるべきだと言う。新聞によるともの凄いヤジが飛んだらしい。

稀勢の里が負傷した翌日の相手は横綱鶴竜だった。痛々しくテーピングした新横綱に勝った鶴竜は「こんなやり難い相撲はなかった」と述懐した。

千秋楽2敗同士の稀勢の里対照ノ富士、前日のブーイングにおそれをなしたのか、本番でも、優勝決定戦でも精彩を欠いた。

日本の国技相撲に初めて朝鮮半島以外の外国から関取が登場したのはハワイ、マウイ島出身の高見山である。彼はアメフトの選手で相撲はやりたくなかったのだが説得されて入門した。
1964年のことだ。相撲界やマスコミでも日本の国技を護れと彼の入幕に反対する声もあった.。日本語もできず、ちゃんこ鍋が食べられず慣れるのに1年かかったという。

最高位は関脇どまりであったが、一度幕内優勝の経験がある。表彰式に当時のニクソン大統領から日米親善の架け橋として祝電がきた。愛称ジェシー、本当は歌がうまかったのだが、のど輪で突きまくられ、声帯を傷めあのガラガラ声になったという。親方になるため日本に帰化した。その日本人より日本人らしい真摯な人柄が愛された。彼のあと曙、武蔵丸とハワイ出身の横綱を育てた。(参照出典ウイキペディア)

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マイナンバー制度(3) [時事雑感]

マイナンバー制度(3)

「マイナンバー制度は行政の効率化、国民の利便性の向上、公平・公正な社会の実現のための社会基盤です。 マイナンバーは、社会保障、税、災害対策の分野で効率的に情報を管理し、複数の機関が保有する個人の情報が同一人の情報であることを確認するために活用されます。以下略・・・」(総務省のHPより)

マイナンバーカードの交付申請者が全対象者の8.5%しかないというニュースがあった。
私のように、どこかにしまい込んだ通知カードを血まなこで探し、i-PhoneでQRコードを読み取り自撮り写真を送って申請したことはこのシリーズの1回目に書いた。

申請から3週間ぐらい経って交付通知書が送られてきた。交付場所は区役所市民課とある。ちょうど所得税の確定申告書にマイナンバーカードのコピーを源泉徴収簿や社会保険料の証明と同じように貼付せよとあったので、受取に行った。受け取るに際しては運転免許証などの本人確認証や健康保険証を提示せよと、またお役所流のややこしい手続きが必要だったのだが、それはさておいて、写真付きのマイナンバーカードを貰って来た。

それが対象者の10%も交付申請をしていないとのニュースを見て、自分はあたらし物好きなオッチョコチョイ、軽薄者だったのかと思ったくらいだ。

老人ホーム出入りの銀行の外勤社員が非課税枠NISAに必要だからと個人番号届け書を書いてくれと持ってきた。書くとすぐ、目隠しシールを貼って持ち帰った。

前にも書いたが日本人はプライバシー意識が強く、個人番号を付けられるのを嫌がる。政府も及び腰でアメリカのようにマストでない。

もう何年も前のことだが韓国に旅した時、毎週金曜日は大統領官邸、通称青瓦台の無料見学ツアーの催しをやっていた。確か金泳三大統領の時代だった。彼はクリスチャンだから金曜日は特に重要会議がない限り青瓦台を一般に公開していた。無料シャトルバスが出る公園に行った。バス停では手荷物検査と身分証のチェックがある。

外国人はパスポートの提示を求められる。その時の外国人は、日本人は私一人、数人の中国人観光客だけであとは全員韓国人である。

見ていると韓国人はそれぞれ顔写真のある身分証を検められているる。なるほどと思った。もし北の工作員が混じっていてもわからない。正式に亡命を認めた脱北者なら身分証が支給される。だから彼の国では顔写真入り身分証は必携なのだ。

その点、日本人は個人番号の通知カードにあるとおり既に番号が付けられているのに、政府も表面上は強制でなく、カードの申請は任意としている。一方企業向けマイナンバー収集代行サービスというのがクロネコヤマトが乗り出している。

「貴方の個人番号が漏れています。確認するから教えてください」と年寄りを騙す特殊詐欺グループも暗躍するかも知れない。

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元気を貰った国際電話 [時事雑感]

私は在宅中は原則として携帯電話は携帯しない。充電器にセットしたままだ。自宅内は固定電話があるし、固定電話の子機を1台パソコンの机の上に置いているから、在宅中は携帯電話を必要としない。

何日か前のこと、携帯電話が鳴っている。画面を見ると「圏外」となっている。はて面妖な。電波が届かないから圏外なのに電話がかかってくるなんて。気味が悪いから出なかった。

鳴り止んだ後、ふと思いついて電話の不在着信をチェックすると韓国のChe君からの着信であった。携帯電話はかける方だけでなく、受ける方も課金される。iPhoneで国際電話すると料金が高いだろうなと躊躇していると、今度は固定電話の方が鳴った。

「韓国のCheです。病気されたと聞いて家族共々心配しています。」
Che君一家がここへ訪ねてきたのは4年前2013年の夏のことだ。それについては、このblogに書いたことがある。私が肺炎で入院し危篤状態から生還したのはその翌年2014年の丁度今頃だった。そのことを誰かから聞いたのだろう。

Che君との付き合いは長い。私は宝塚にいた頃、朝鮮・韓国の文学を研究翻訳する「北十字星文学の会」に身を置いた。Che君は尼崎の産業技術短大の社会人留学生だった。日本語勉強のためと入会してきた。文学会の会員は日本人、在日朝鮮・韓国人、それに韓国人留学生という構成だった。

韓国の大手鉄鋼会社、浦項製鉄では日本語の社内検定に合格した社員、数人を毎年尼崎の鉄鋼短期大学(現在は産業技術短期大学と改称)へ社費で送り込んでくる。日本に見習い追いつけの時代だった。今のような反日感情は全くなかった頃だ。

学校が夏休みになると、留学生たちはいそいそと家族のもとに帰る。ひとりChe君だけは帰らず、逆に家族を呼び寄せた。家族思いの彼はこの機会に日本を見せてやりたいと思ったのだ。

Che君は私がソウル生まれと知って、親近感を持ったようだ。彼は済州島の出身である。
韓国語では宝塚のヅやズの音がない。宝塚はタカラジュカ、塚口がチュカグチ。随分がジュイブンとなってしまう。その発音是正の特訓をしてやった。韓国語にはスの子音がある。無声音である。その口の構えで息を出し有声音化する訓練だった。

韓国語は語頭には濁音はこない。同じ音が語中になると濁る決まりがある。日本に来て母国を批判し、国を追われ日本に帰化した呉善花さんも済州島出身だが、オ・ソンファと韓国音で名乗っているのは、日本音読みのゴ・ゼンカの発音が苦手だからと書いている。発音がコ・ジェンガとなってしまう。

さて夏休みに来日したChe君の家族は短大の寄宿舎に泊まっていた。1人住まいの我が家に文学会の日本人会員も招いてパーテイをして交流した。在日の朝鮮・韓国人は二世、三世となると、もうネイティブとは言えず、日本語で考えるから、ネイティブの韓国語を話すChe一家は人気があり、大いに盛り上がった。奥さんは台所に立ち韓国料理の腕を振るってくれた。

後日、私は自分の車に4人を乗せ、私の縄張りである滋賀県長浜市へ、奥琵琶湖の余呉湖の国民宿舎へ一泊ドライブをした。子供は小学校の姉弟である。長浜城、醒ヶ井養鱒場等、夜は湖畔で花火を楽しませた。その時の思い出が子供心に強烈に焼き付いたようだ。
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10年以上経って4年前に再会した時、女の子は女子大学生、男の子は陸軍士官学校の学生だった。その成長ぶりに目を見張った。それだけこちらが年老いたのだ。女の子はカナダへ留学したいと言っていた。
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Che君は浦項製鉄から現代製鋼に転職、部長になっている。ここが日本人とはちょっと違う。日本人なら社費で留学させてくれた会社を捨てて他社に移ることはしまい。

今回の電話では、娘はカナダ留学はせず国家公務員試験に合格、息子は士官学校を卒業し少尉に任官した。ソウルの近郊に家を構えました。是非一度来てください。家内も子供たちも会いたがっています。

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折しも韓国は大統領の弾劾問題で騒然としていた。また韓国のマスコミは親日思想を叩くことがメデイアの正義とわきまえている。そんな雰囲気の中でわざわざ電話をくれたのは、儒教の伝統である敬老精神からであろうか。今は足を痛めているがよくなれば、是非もう一度行きたいな。私は久しぶりに韓国語で言って電話を切った。


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お断わり [時事雑感]

このblogの左側にリンクを示している掲示板は、先月からサーバーの不調で繋がらなくなっています。掲示板運営業者側の機器にトラブルがある様子です。メールで連絡を取ろうとしても、メールアドレスがエラーとなって届かない状態です。

当分の間休止といたします。ご了承ください。

追記:これをアップロードした直後、Sさんから繋がってるますよ、とのメールを頂いた。1週間ぶりである。安定するまで静観の構え。

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マイナンバー制度(2) [時事雑感]

マイナンバー制度の前に住民票コードというのがあった。住民サービスの向上と行政事務の効率化を謳い、平成11年(2005年)8月、改正住民基本台帳法が公布施行された。地方自治体が発行、それを全国的に繋げる住基ネットシステムを作ろうとした。

当時私は宝塚市に住んでいた。宝塚市長から住民票コードとして12桁の番号が送られてきた。この番号が実際に役に立ったのは、私の場合ただ一度だけだ。パスポートを取るとき、それまでは本籍地から戸籍抄本を取り寄せる必要があったのが、住民票コードを記入すれば戸籍抄本は不要であった。

全国の地方自治体を結ぶ住基ネットは、参加は任意としたから、参加自治体は僅か5%いう惨状で、あえなくお蔵入りとなった。潤ったのはシステムを運営する機関とソフトウェア開発を請け負ったコンピュータ企業であった。莫大な税金の無駄遣いに終わった。

国民背番号制の真の狙いは、金融機関のヤミ口座を捕捉して課税することにあったと思う。だが戦時中は政府権力による中央統制によってプライバシーのなかった日本。戦後平和憲法で個人の尊厳と自由を手に入れた日本人は、国民背番号制に激しいアレルギー反応を起こした。

マイナンバー制度の元祖といえば、80年前1936年、大恐慌の時、フランクリン・ルーズベルト大統領がニューディール政策として始めた社会保障制度であるという。

そこでアメリカに住む娘にメールで聞いた。

カードは名刺大のやや厚めのカードで XXX-XX-XXXXの8桁の番号
                  〇〇〇 〇〇〇〇 氏名
                  自筆の署名

日本と違い紛失しても再発行はない。だから裏面にカードはむやみに持ち歩かず、自宅の安全な場所に保管せよとの注意書きがある。また裏面にこのカードを拾得した人は社会保険事務所に送って下さいと住所が書いてあるのだそうだ。

拾った人が正直に届けることはあり得ないと娘は笑う。古き良き時代、アナログ時代の産物なのだ。不法移民も少なかった。

社会保障番号のない不法移民の手に渡ったら、なりすましに悪用されてしまう。現になりすまし犯に悪用されるケースが頻発しているという。不法移民は今や1000万人を超え、トランプ大統領が壁を作りたくもなるだろう。

では社会保障番号(Social Security Number 略称SSN)は何に使うのか。元来はその名の通り医療費の弱者救済であったが、現在では全国民の背番号となり、銀行口座開設、保険契約、不動産賃貸契約、クレジットカード契約など重要な契約に番号が要求される。

契約時には8桁をを示すことが必要だが、一旦契約した後の問い合わせ時は8桁を宙ですらすら諳んじるほどの記憶を保持するのは難しい。そこで下4桁だけを言えればよいという。時には下4桁と生年月日を聞かれることがあるそうだ。同姓同名で生年月日までが同じという人がいる確率はきわめて小さいだろう。

顔写真は付いてないから、顔写真付きIDとしての機能はない。顔写真付きIDとしては運転免許証である。アメリカの運転免許は5年間有効だが、更新はインターネットで簡単にできるから写真はいつまでも若い時のままだよと娘が笑う。

もう一つ、顔写真付きIDとしてのパスポートは最近の金正男氏暗殺事件でわかるように偽造が出来るし、偽造を商売とするブローカーも暗躍しているから信頼できない。パスポートにはICチップが組み込まれているのだが、それでも偽造される。悪知恵の進化の方が一歩先を行く。

序に言えばアメリカの軍隊では個人識別用として金属製の認識票にSSNが刻まれているということだ。戦場で戦死者の遺体が回収できないとき、認識票を持ち帰り戦死のあかしとする。特に海軍は水葬が一般的だから、認識票を持ち帰ることが必要だなのだ。

さて昨日3月4日、先月申請したマイナンバーカードの交付通知が送られてきた。区役所の市民課で一か月以内に受け取れと。前回書いた「通知カード」と本人確認書類、

A)顔写真付きの1点、運転免許証、運転経歴証明書、旅券など。
B)顔写真付きがない場合は官公署発行の各種資格証、免状、健康保険証などのうち2点。

それに暗証番号4桁のものを3組と電磁証明用6~16桁を予め作ってくることとある。アメリカのSSNがなりすまし犯罪が多いのを見て一応2重、3重のセキュリテイ対策を取っているようだ。

所得税確定申告の期限が3月15日だから明日にでも行くことにしよう。今度も巨額の税金をつぎ込んでJ-LIS(地方公共団体情報システム機構)がシステムを開発したのだから、ムダ金にさせたくない。

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マイナンバー制度(1) [時事雑感]

 過日、28年度の確定申告の用紙が送られてきた。見るとマイナンバーの記入が必須とある。慌てた。2年くらい前に「通知カード」が簡易書留で来ていたのを確かに見たことがある。指定サイズの顔写真を添えて「マイナンバーカード」を申請せよとあったが、証明写真を撮りに行くのが面倒で放っておいた。それをどこへしまったのか忘れてしまった。最近しまい忘れ(場所を忘れる)が多いのである。血相変えて血まなこで探し出した。あった!

確定申告書に記入する12桁の個人番号はそれで解ったのだが、申告書を出すときに本人確認用書類の提示または写しの添付が必要とある。

本人確認用書類としては
例1)マイナンバーカード
例2)通知カード+運転免許証、公的医療保険の被保険者証など、とある。
運転免許証はこの秋まで有効だから取り敢えず確定申告書は提出できるのだが、この際だからマイナンバーカードを作っておこうという気になった。

私のWEB 掲示板によく書きこんでくれる常連のSさんが、i-Phoneでマイカード申請したとの書き込みがあった。上記の通知カードの下にスマートホンで読み取るQRコードが印刷してある。それを読み取ると申請ができる。写真は予め撮っておくとサイズは先方で自動的に規定サイズにしてくれるのだそうだ。

早速実行にとりかかった。私もSさん同様i-Phoneである。
先ず、i-Phoneのカメラで白い壁を背景に自撮り写真を写す。何枚か撮って一番ましな1枚を残し、後は消去する。
次に上記のQRコードを読み込むと、私の個人番号、住所、氏名が現れた。以下指示される通りに情報を打ち込み、自撮り写真を送ると以下のような返信が来た。ゲームのような感覚であっけなく申請が済んだ。
blog2017mynumber.jpg


さて、以上は前置きである。書きたいのはこれからである。次回に譲る。

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